半坪ビオトープの日記

須須神社


狼煙漁港の南約2kmに標高172mの山伏山がある。古来より、嶽山・鈴ヶ嶽と崇められてきた神体山で、後に山伏修験の霊地として山伏山と呼ばれるようになった。山頂に須須神社奥宮があり、祭神として美穂須須美命を祀る。明治12年の改称以前は、鈴奥大明神・鈴嶽奥神社・五社大明神と崇められてきた。山伏山の南約2kmの麓、珠洲市三崎町寺家の海岸沿いに須須神社の一の鳥居が東の海に向かって朝日を受けるように建っている。

道路脇の二之鳥居の左側には、作家村上元三の「義経は雪に消えたり須々の笛」の句碑が立っている。文治3年(1187)に奥州下向の際、須須権現の加護で海難を逃れた源義経が奉納したという蝉折の笛は、須須神社宝物殿にあるが、見学は事前予約が必要であった。

参道入口にも三の鳥居が立ち、小さな石の太鼓橋が見える。

スダジイタブノキなどの照葉樹が鬱蒼と茂る厳かな雰囲気の中を参道が続いている。樹齢500年を越えるものもある須須神社社叢は、国の天然記念物に指定されている。

参道を進むと左の高まった所に小さな白山社がある。古くから加賀、越前、美濃国にまたがって白山信仰が広がっており、山伏山も山伏修験の霊地でもあったので、その名残であろう。

石段を数十段上がると社殿が見えてきた。

この寺家に鎮座する高座宮(たかざのみや)と近くに鎮座する金分宮(かなわけのみや)二社の総称を須須神社という。社伝によれば、崇神天皇の御代に山伏山の頂上に創建され、天平勝宝年間(749~756)に現在地に遷座したという。三崎権現、三崎明神、須須大明神などと呼ばれ、近世には北前船の船乗り達にも崇敬され、奥能登の最有力神社として隆盛を誇ったという。天正14年(1586)に前田利家能登巡見の際、祈願所として社堂を再建するなど再興に尽力したと伝えられている。

古代より縁結びの神として知られ、五穀豊穣・大漁・交通安全・鬼門除け等の日本海の守護神として深く信仰されてきた。最近建て替えられたと思われる真新しい拝殿の、唐破風向拝の鬼板には梅鉢の神紋が付いていたが、拝殿内にも梅鉢の神紋が見られる。

主祭神として、高座宮に瓊瓊杵命と美穂須須美命を、金分宮に木花咲耶姫命を祀る。高座宮は、たかくらぐうとも読まれ、三代実録貞観15年に記載の高倉彦神は、当社の高倉宮の祭神と考えられている。高倉彦神は、高麗からの渡来人・高倉氏の氏族神である。

とても古そうな本殿の、妻に見られる懸魚や蟇股の彫刻もかなり手の込んだ仕上がりである。

社殿の右手にコンクリート製の宝物庫らしき建物があった。事前予約しないと見学できないのが残念だが、宝物庫にある木造男神像五躯は、鎌倉時代の衣冠束帯の座像で国の重文に指定されている。ほかにも先ほど触れた義経の蝉折の笛と、弁慶が寄進したという「左」銘入りの守刀や、古珠洲焼の翁面、隠れ切支丹崇拝像、古文書73通がある。また、駐車場横には日本最大のキリコの収納庫があり、毎年秋には「寺家キリコ祭り」が開催される。