半坪ビオトープの日記

吉祥寺、古月庵


参道から本堂に向かって右側の鐘楼のさらに右手に池があり、その先に古月庵が建っている。以前は精進料理の食事処・休み処だったが、昨年9月に宝物殿に改修された。

右側の池にも水芭蕉がたくさん咲いている。吉祥寺は、ミズバショウの他にもたくさんの花が咲いている花寺として知られ、東国花の寺百ヶ寺群馬11番札所となっている。吉祥寺百花園とも呼ばれる。

古月庵=宝物殿には、釈迦誕生図や十六羅漢像、古銭、東海道五十三次絵巻、羅漢屏風(びょうぶ)、涅槃(ねはん)図、村民から寄進された仏像や写経した大般若経などが展示されている。
入ってすぐ右手には、昨年まで川場村歴史資料館で公開されていた「傅大士像」が安置されている。傅大士(ふだいし)とは、中国南北朝時代の在俗仏教者(497~569)。本名は傅翕(ふきゅう)。双林寺を建て、大蔵経を閲覧する便をはかって転輪蔵を創始した。後世、経蔵に傅大士と二子の像を安置する習慣が生じ、長野善光寺の経蔵にも安置されていた。

この仏像は、宝永3年(1706)に村民から寄進された、釈迦如来坐像である。

こちらの仏像は、享保20年(1735)に寄進された聖観音坐像である。

殿内中央壁際には、いくつも掛軸が吊るされている。一番右は、吉祥寺境内図。その左は、十六善神密画。その左は二つとも、釈迦出山図である。

中央やや左手の壁際には、大きな釈迦誕生図が架けられている。今までは、釈迦の誕生日にだけ公開されていた狩野派の画で、狩野探雲が描いたようだ。

その左手には、十三仏十六羅漢などの掛軸がある。左から二つ目の掛軸は、狩野山楽の画である。下には薬師如来座像など、寄進された仏像が安置されている。

こちらには、小さな仏像がたくさん展示されている。携帯用のお守りとして使われたのだろう。

こちらには、払子と如意が展示されている。払子は、法要の際に威儀を示すために用いる法具であり、本来はインドで虫を追い払う道具であったが中国の禅宗で煩悩を払う法具として用いられ、日本では鎌倉時代以降、浄土真宗以外の各派で用いられるようになった。如意は、僧が読経や説法の際に手に持つ法具で、笏と同様に権威や威儀をただすために用いられる。

古月庵から円月池へと清流が続くが、点々と咲く水芭蕉の花が清々しい。