半坪ビオトープの日記

永明寺、寺宝館 


本堂左手奥に、津和野藩主・亀井家位牌堂(御霊屋)がある。

位牌堂内には、津和野藩初代藩主亀井政矩の父・亀井茲矩(これのり)の木像や歴代藩主の位牌、藩主夫人や側室などの位牌が安置されている。
津和野藩家老・多胡真蔭の位牌も安置されている。多胡家は明治初年に神道に宗旨替えしたため菩提寺・永明寺に安置されていた多胡家の位牌はすべて処分されたが、これだけが残されたという。

位牌堂のさらに左手奥に寺宝館が続いている。永明寺に位牌のある津和野出身の二大偉人として、森鴎外と並んで中村吉蔵が紹介されている。中村吉蔵は「井伊大老の死」などの劇作家として近代演劇の確立に貢献した。

有名な森鴎外の遺言状(複製)は、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス・・・」と友人・賀古鶴所に口述筆記を依頼したものである。そこには、「宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ・・・」とある。それは大正11年(1922)7月6日。3日後の9日に死去し、東京向島弘福寺に埋葬された。その後、墓は三鷹市禅林寺に移され、津和野の永明寺にも分骨された。

寺宝館には古文書や工芸品のほか掛け軸も多く陳列されている。県の文化財に指定されている室町時代の作である絹本著色十六羅漢図は、とりわけ表現豊かでたいへん素晴らしい。

一番右のルソンの壺は、鹿野城主であった亀井茲矩朱印船貿易で手に入れた貴重な壺で、雲水の茶壺として使用されていたという。

津和野藩主が参詣に来たときにもてなされた御膳のセットも極めて精巧に作られている。

一番左の仏像は、後醍醐天皇に僧円心が献上したものといわれる鎌倉期の大日如来像である。

左の掛け軸は、大きな釈迦涅槃の図で出色のものである。

他にも寺領打渡に関する書状など貴重な古文書がたくさん陳列されている。