半坪ビオトープの日記

厳島神社、火焼前


前方に廊下が伸びて突き当たりに右楽房が建っている。桁行5間、梁間2間、一重切妻造檜皮葺。舞楽演奏のとき奏楽する場所で、国宝に指定されている。

左の御本社を見返ると、祓殿の前には一段高い高舞台が設けられている。黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄を廻らし前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪・四天王寺から移したという舞楽が演じられる。現在の舞台は、天文15 年(1546)棚守房顕によりつくられたもので、国宝に指定されている。高舞台の左右には大きな狛犬が睨みを利かせている。左の角があり口を閉じた狛犬が雌である。

右楽房の左の小さな建物は、右門客(みぎかどまろうど)神社である。切妻造の覆屋内に流造の社殿がある。祭神として豊石窓神を祀る。
左右の楽房の手前の床は、寝殿造りの庭にあたり、平舞台という。

右門客神社のすぐ左には大きな青銅製の灯籠が立っている。天明5年(1785)の刻銘があり、大阪の鋳物師・山本源右衛門が鋳造したという。

その左には木床が細く突き出ており、そこを「火焼前(ひたさき、火焼先)」と称する。火焼前の先端にも青銅製の灯籠が立っている。寛文10年(1670)の刻銘があり、芸州山県郡溝口荘小田正作政久の奉納という。この灯籠と大鳥居は、絶好の撮影スポットなので人影が絶えない。

火焼前の左には、左門客神社が建っている。祭神として櫛石窓神を祀る。その脇の青銅製の灯籠は、文久4年(1864)に奉納されたものである。

御本社の祓殿の右手前に構える狛犬は、角がなく口を開けた雄である。尾の先が大きく舞い上がっているのが面白い。その右手前の足の高い石灯籠も珍しい。

左楽房の辺りから右手には、能舞台と楽屋が見える。楽屋の右奥には多宝塔が認められる。

州浜はすっかり潮が引いて、多くの人が大鳥居の近くまで歩いて近づいている。主柱は樹齢500〜600年のクスノキでつくられている。各主柱の立つ基礎は、千本杭といって、松材の丸太の杭を密に打ち込んだもので、現在はその上をコンクリート花崗岩で固めてある。鳥居はその土台の上に自重で立っている。島木と笠木は箱状の構造で、その内部に拳大の石が多数詰め込まれており、その重みによって大鳥居は自立し、風や波に耐えるようになっている。厳島神社を描いた「一遍聖人聖絵」には社殿前に明神鳥居が描かれている。現在のような両部鳥居になったのは、天文16年(1547)大内義隆等が中心に再建した時といわれる。