桟橋前の広場を神社に向って歩き始めるとすぐに、「厳島合戦跡」の表示がある。天文20年(1551)中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆は、家臣陶晴賢の謀反により滅亡した。義隆と盟友の毛利元就は、2年後晴賢に対し挙兵したが、戦力的に優勢な陶軍に…
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