半坪ビオトープの日記

安積国造神社


郡山駅近くに安積国造神社が建っている。成務天皇5年(135)比止禰(ひとね)命が初代安積国造に任命されて安積国を建国し、神社を創建して和久産巣日神(わくむすひのかみ)と天湯津彦命を祀ったのが起源と伝わっている。比止禰命の死後には比止禰命が、坂上田村麻呂の東征の際には八幡大神が合祀され、八幡宮とも呼ばれる。拝殿は、文化7年(1810)に再建されたものである。

源頼義・義家が東北遠征時に戦勝祈願を行ったとの由緒を持つが、現在の神社は天和3年(1683)にここより北の赤木町より遷宮したものである。

主祭神として、和久産巣日神・天湯津彦命・比止禰命・誉田別命倉稲魂命を祀る。総檜、流造の本殿は、大正15 年(1926)に再建されたものである。

本殿の右手に鎮座している摂社は、天照大神を祀る皇大神宮である。その右には永年にわたって奉納されたものであろうか、古びた石祠がたくさん並べられている。

皇大神宮の真向かいに、安積艮斎(ごんさい)の銅像がある。寛政3年(1791)この神社の宮司の子として生まれた艮斎は、江戸末期の儒学者佐藤一斎の門人として頭角を現し、後に二本松の藩校教授や幕府の昌平坂学問所の教授を務めた。門人には小栗忠順岩崎弥太郎らがおり、幕末・明治の動乱期に活躍した人物に大きな影響を与えた。艮斎の後輩の渡辺華山の門人である椿椿山が描いた艮斎の肖像画をもとに、佐藤義重が昭和28年に銅像を制作した。題字と撰文は徳富蘇峰である。銅像の右の石碑は、安積艮斎誕生地の碑だが、東日本大震災で壊れたのであろうか新しくなっている。

毎年9月下旬に行われる秋祭りでは、3日間にわたり山車や神輿が練り歩く。神輿は本神輿が3社、町神輿は35を数えるという。

本殿の左に鎮座するのは、安積天満宮である。祭神は、学問の神様として菅原道真と安積艮斎を祀っている。

安積天満宮のさらに左に鎮座するのは、白王稲荷神社である。古来より当地の地主神として祀られている、農業・食物・商売の神様である。

白王稲荷神社の左に、信州高遠透かし灯籠がある。明和7年(1770)宮司が京都への旅路で高遠城下の商人が困っているのを助けたが、そのお礼として奉納された精巧に仕上げられた灯籠である。

さらに左手に、伏見稲荷神社が祀られている。

この神社の北西一帯は、安積郡衙跡と考えられていて、郡山市発祥の地とされる。境内左手に安藤脩重(もろしげ)翁碑と郡山八幡祠碑が建っている。安藤脩重は第59代宮司で、開成山大神宮初代宮司を兼務した。幕末明治期の郡山の精神的支柱であり、権中教正という位を受けた。
左の郡山八幡祠碑は、文化7年の社殿再建竣工を祝し文化14 年(1817)に建てられた。碑文には当神社の由緒や再建の経緯が書かれており、安積艮斎が撰文した。