半坪ビオトープの日記

安積歴史博物館


翌日は安達太良山に登ろうと思ったのだが、ロープウェイ乗り場へ向う道が既に渋滞で車が動かない状態。おまけに風が強く吹いてきたので登山は諦めた。郡山市内の史跡とあぶくま洞を見て、早めに帰ることにした。
安積歴史博物館は、郡山市に所在する県立安積高校の敷地内に存在する博物館である。明治22年に県内唯一の中学校として開設された、旧県尋常中学校本館という鹿鳴館造りのバルコニーがモダンな洋風の歴史的建造物で、創建された場所に創建されたままの姿で残るものとして全国唯一の国の重文に指定されている。東日本大震災による被害のため休館していたが、ようやく10月上旬に仮オープンしたばかりである。
玄関左手前には、明治・大正・昭和を象徴する安積健児の像がある。
完成された真束小屋組、外部下見板張り、上げ下げ窓の廻りや建具、さらに玄関のポーチとベランダなど見どころは多い。屋根は寄棟造で、軒先には唐草瓦、棟には熨斗瓦、両端には鬼瓦が飾られている。

講堂の天上には、ローソク用のシャンデリアが二つ取り付けられている。

教室の壁は、巾木を廻らせて漆喰塗り。教卓脇には、火鉢が据えられている。

高山樗牛久米正雄中山義秀など安積出身の著名人の資料なども展示されていたのだが、まだ片付けられていない部屋がたくさんあり、廊下には大震災での被害状況と復興工事の進捗状況を示す写真がいくつも掲示されていた。

明治維新の最中、各地で起こった士族の反乱への対策の一つとして、安積原野開拓という士族授産の国家プロジェクトが計画され、短期間で明治15 年(1882)に安積疎水が開通された。安積開拓の中心となった開成館では、開拓の歴史が主に紹介されているが、近くの開成山公園など郡山市内には池のある公園が多い。中心部に近い麓山公園の向いに小さな郡山市歴史資料館がある。そこには、市内遺跡出土の土器などの考古資料や、江戸や明治期の古文書資料などが展示されていて、郡山の歴史を紹介している。

縄文時代中期の山王舘遺跡出土の三角土製品や浅鉢のほか、多種多数の土器などの出土品が展示されている。

写真を中心とした満州事変から第二次世界大戦までの15 年にわたる戦争資料の展示・解説も行われている。

ここにも写真や年表を使って、安積疎水や安積開拓の歴史が紹介されている。