半坪ビオトープの日記

古四王神社


喜多方蔵の里の西、琴平山の中腹に古四王神社があるというので探したが、上り口が見つからなかった。山の麓の道端に鳥居が見えたので立ち寄ってみた。苔むした扁額をよく見ると、なんとか古四王神社と読み取れる。

右奥にぽつんと社が建っているが、古四王神社の社殿ではなかろう。社殿は確か宝形造りのはずである。

扁額を見るとやはり古四王神社と書かれている。

中腹に社殿があるということだから、これはその里宮にあたる社と思われる。

鳥居の脇には、「石鳥居寄附人」の石碑が建っている。

鳥居をくぐって苔むした石段の参道を上っていくと、間もなく石段がなくなって、ただの山道のようになってしまった。そのうち木の根がむき出しになってきた。

これが参道かと怪訝に思うころに、またもや苔むした石段が現れた。

なおも上っていくと山道になり、荒れて細くなり、今は使われなくなった昔の参道の跡に違いないと思って引き返すことにした。後で調べたところ、やはり琴平山の中腹にある古四王神社の社殿は、鉄板葺きの宝形造りで、本尊と思われる神像は平安時代末期作と推定される多聞天であり、現在の祭神は、大毘古命と武淳名川別命の父子という。古四王神社は、主に秋田県新潟県など日本海側に分布する神社で、四道将軍の一人といわれた大比古命(こし王)が祀られている例が多く、会津地方と日本海側との文化的つながりを示す好例といわれている。上り口が他にあると思われたが、見つからなかったのが残念だった。