半坪ビオトープの日記

新宮熊野神社本殿


長床の裏手の石段の上に、玉垣を廻らせて新宮熊野神社の本殿が東を向いて建ち並んでいる。

本殿中央には本社新宮証誠殿が建っている。新宮熊野神社が当地に勧請されたのは応徳2年(1085)の時で、熊野堂村(現河東町)から移された。当初はこの地に新宮が、岩沢村に本宮が、打津野村に那智殿が別個に祀られたが、後にこの地に三社が合祀された。いずれも間口1間、奥行2間、妻入、向拝付、熊野造りで、室町時代以降に建てられたと推定され、県の重文に指定されている。

本社新宮の左には末社那智山飛龍権現が祀られている。左にわずかに見える石灯籠は、文化5年(1808)に奉納されたものである。

新宮の右には末社、本宮十二社権現が祀られている。

新宮熊野神社参道入口から見て右側に、新しい宝物殿が建っている。宝物のほとんどがガラスケースの中に展示されていて、珍しく写真撮影が許されている。

宝物殿に入って正面に展示されているのは、大きな銅鉢である。高さ28cm、口径62.5cmの朝顔型の鉢。神仏の前に米飯を備える食器の一種で、修験道関係に用いられ、洗米や賽銭受けに使用された。暦応4年(1341)の奉納銘があり、国の重文に指定されている。

左上の版木は、牛王版木という。縦26.6cm、横40.7cm、厚さ2.6cmで、寺社から出される牛王宝印と呼ばれる護符を刷った版木であり、県の重文に指定されている。「熊野山宝印」の文字は、熊野の神の使いである烏を文様化したものである。

左上の鰐口は、面径31.5cm、厚さ17cmで、新宮一族が奉納したもの。側面が一般には扁平楕円形であるのに対し、矩形(長方形)に近い形をしているのが特徴。康応2年(1390)の奉納銘があり、県の重文に指定されている。

こちらは木像文殊菩薩騎獅像である。像高116.4cm、獅子まで含めた高さは287.4cmある。インドから砂漠を渡り、文殊菩薩の住処と考えられた中国の五台山に行く姿を表している。脚部や両手、獅子の頭部などは江戸時代に修理されているが、他は平安時代の姿を伝えるものとして、県の重文に指定されている。

こちらは木造不動明王および二童子像である。江戸時代初期の作とされている。
他にも木造薬師如来像と十二神将像、木造毘沙門天・弁財天・大黒天像、木造相撲力士像、三千仏画像など、興味をそそる展示物がたくさんある。