半坪ビオトープの日記

川村アイヌ記念館


勇駒別湿原も自然探勝路も満足に散策できなかったので、早めに層雲峡に移動するため旭川へ向った。
旭川北海道教育大学の隣に、川村カ子トアイヌ記念館がある。アイヌ文化の資料館としては日本最古で、大正5年(1916)に川村カ子トの父、川村イタキシロマにより開館された。入口には「イイソネカ エサラキ(ようこそいらっしゃいました)」と書かれている。

開館当時の記念館周辺は、近文アイヌ部落と呼ばれ、近隣のアイヌが集まっていた。
一番左上の写真は、川村カ子トの祖父であり、その右が父である上川アイヌの長、7代目イタキシロマと、母のアベナンカである。

館内には、イラマンテ(猟・漁)、イノミ(祈り)、ウイマム(交易)、イオマンテ(魂送り)、チセ(家屋)、チコイキプ(動物)、テケカラペ(女性の仕事)、木彫りや織物、道具類や資料などが所狭しと展示されている。

ティプ(丸木舟)が置かれた広間では、アイヌの民俗楽器の演奏や、民族衣装を着た踊り、アイヌ語教室など様々なイベントが行われる。

神事は最も大切なアイヌ男性の仕事である。木を削ったイナウ(御幣)・祈りの言葉・神酒は欠くことができない。イナウは神への供物であり、カムイ(神)に祈り、願う際にイナウを捧げる。

イナウには様々な形があり、右上は火の神に捧げるアペフチカムイナウである。
左下の彫刻が施されたへら状の板は、イクパスイ(捧酒箸)という。アイヌ民族が儀式で神や先祖に神酒を捧げる時に使う木製の祭具である。箸先を酒杯につけ、祭壇に向けて垂らすと、一滴の酒が神の国には一樽になって届き、神々も人間達と同じように酒を酌み交わすと考えられている。

アイヌの食器もいろいろ展示されているが、これらは神事に使うものか、一番右の酒杯にはイクパスイが乗せられている。

奥の木組みは、エペレッセ(子熊のおり)という。雌熊を獲った時、子熊がいたら家に連れ帰り、山の神からの預かり物として大切に育てる。子熊が小さいうちは家の中で育て、母乳を与えることもある。大きくなると外に檻をつくる。1、2歳になると、母熊の待つ神の国へとその魂を送り返す儀式を行う。これをイオマンテという。

資料館の向いに、チセ(家屋)が再現されている。掘立柱を地面に直に立て、柱と梁を組んで屋根を支えた寄棟の掘立柱建物である。北海道の中でも地方により茅葺、樹皮葺きがあり、上川地方や十勝地方ではトプ(チシマザサ)で葺いた笹葺きである。

マイナス41℃の日本最低温度記録をもつ上川地方(旭川市周辺)では、屋根も壁も笹葺きで、その厚みは20cmほどといわれる。アイヌの古老の話では、「チセは夏涼しくしのぎやすく、冬は暖かかった」という。