半坪ビオトープの日記

野茂二風谷アイヌ資料館


日高山脈を源とし、日高管内第一の長さを誇る沙流川の中・下流域に広がる沙流郡平取町の二風谷は、アイヌ文化の伝統が色濃く残る地域として古くから知られている。二風谷ファミリーランドの中には、キャンプ場やパークゴルフ場、テニスコートや野鳥の森など、アウトドアを楽しめる様々な施設の他に「びらとり温泉ゆから」がある。ここでゆったり日帰り温泉を楽しみ、「びらとり和牛」のステーキを味わってから、アイヌ文化関連施設を見学することにした。

日高国道あるいは沙流ユーカラ街道とも呼ばれる国道237号線沿いの二風谷の東に萱野茂二風谷アイヌ資料館がある。このアイヌ資料館は、民族文化研究家で自身もアイヌ民族であり、参院議員も務めた故萱野茂が初代館長だったことで知られる。昭和47年(1972)二風谷アイヌ文化資料館として開館し、5年後には土地・建物・展示資料ともに無償で平取町へ移管され、15年間町営資料館として運営された。平成3年(1991)仮オープンの平取町立二風谷アイヌ文化博物館にすべての資料が移された。翌年、旧資料館の建物を再利用して、萱野茂の新たな個人コレクションを展示して再スタートし、のちに今の名に改称した。現在の館長は茂の次男の萱野志朗である。

屋外には、復元された伝承家屋チセが幾つも建てられている。一番右の「コロポックルの家」は、萱野茂が遊び心で作ったもの。フキの下に住む小人・コロポックルが、困った時にアイヌを助けてくれるという伝説による。屋根のフキは鉄板で作っている。

右手の高床式の建物は、プ(高床式倉庫)といい、ひえ・あわ・きびなどの穀物を貯蔵していた。

館内には、40年以上にわたって収集したアイヌの民具約600点の他、世界各地の先住・少数民族の民具約600点、赫哲族(ホジェン族)の民俗と生活を描いた絵画約50点などが展示されている。赫哲族とは、黒竜江省アムール川流域に約5000人住む、中国の55の少数民族の一つで、ロシア側にも約1万人いるという。ツングース系の民族でロシアではナナイと呼ばれる。
アイヌの衣服も数多く展示されている。これは噴火湾沿いの地域に見られる木綿衣で、ルウンペ(色裂置文衣)と呼ばれる。紺木綿の単衣に白木綿でアイヌ独特のモレウ(渦巻)模様が切伏刺繍(チカラカラぺ)されている。

こちらは複雑に切伏刺繍が施された女性の儀式用衣服。これだけ派手なものは珍しい。

こちらは男性用の樹皮衣である厚司(アットゥシ)と思われる。

このように花と葉と思われる見慣れない文様を施した手の込んだ衣服もある。

こちらの両側は厚司(アットゥシ)だが、中央の衣服はカパリミプ(白布切抜文衣)という、木綿の上に幅の広い白布の切抜文様を貼り付けた衣服である。

左端の衣服は、チェプウル(魚皮衣・獣皮衣)という衣服で、これは鮭皮が使われている。

壁にたくさん立てかけられた御幣に似たイナウは、アイヌの祭具の一つで、カムイや先祖と人間の間を取り持つもの(供物・神霊の依り代)とされる。カムイに祈り、願う際にイナウを捧げると、それによって人間側の意図するところがカムイに伝わり、カムイの側も力や徳を増すと考えられている。

下の段の首飾りは、タマサイと呼ばれる。中国大陸や和人社会から入手したガラス玉で作られていて、特に青や黒の玉が好まれたという。金属の飾り板をつけたものも多い。
上段左のイカヨプは矢筒であり、右上のエムシは儀刀である。アイヌ自製の鞘と柄に、本州からの移入品である鍔と刀身を取り付けて日本刀を模したもので、武器ではなく男性が身につける儀礼具の一種である。エムシアッ(刀掛帯)を右肩から左腰へたすきがけにして刀を下げる。