半坪ビオトープの日記

弥彦神社、宝物殿


東参道と表参道の交差するところに手水舎が建っている。社殿と同じく大正5年の造営で、国の有形文化財に登録されている。

参道右手に場違いのように赤い鉄製タンクが保存されている。明治17年に新潟の田代虎次郎が考案した石油蒸留釜で、原始的な石油精製装置として全国に2基のみ現存しているという。

石油蒸留釜の後ろには、「重軽(おもかる)の石」がひっそりと置かれている。「津軽火の玉石」とも呼ばれ、持ち上げてみて軽ければ願い事が叶うといわれている。

手水舎の交差点を右(北)に曲がると、宝物館の手前、椎の木の御神木の脇に、明治45年に焼失した旧本殿跡がある。

宝物館は昭和43年に新築され、重要文化財や重要美術品などの宝物類や古文書などが収蔵・公開されている。

この志田大太刀は、日本刀の重要文化財中の反り刀では最大級のもので、刃渡り220.4cmである。応永22年(1415)に古志郡夏戸(現長岡市寺泊)の豪族志田三郎定重が、備前国長船の刀匠・家盛に打たせ、当神社に奉納したものである。

こちらの大太刀銘正吉は、越後高田の刀工・三家正吉が天保14年(1843)に鍛え奉納したもので、刀身224cmあり、我が国最大級の刀として県の文化財に指定されている。

こちらの大鉄鉢は、高さ35.4cm、口径59cm余の巨大な名器で、嘉暦元年(1326)に奥山庄中条(現胎内市)の豪族・相次郎孝基が奉納したものであり、国の重文に指定されている。

こちらの九曜巴散雙鶴鏡は、室町時代の金銅製、直径31.2cmの大鏡で、中央の菊花、亀甲鈕に接してその上辺に二羽の鶴が配されている。国の重要美術品に指定されている。
ほかにも上杉輝虎謙信が永禄7年(1564)に当神社に奉った祈願文、家光の五百石の朱印状などの収蔵品が展示されている。