半坪ビオトープの日記

居多神社


五智国分寺の西南を100mほど行くと、居多(こた)神社がある。近くに越後国国府があることから国司の尊崇を受け、越後国一宮とされた。「延喜式神名帳」では「けた」と読ませており、北陸地方に分布する「気多神社」と同じ出雲系統と考えられる。

承元元年(1207)越後国府に流された親鸞は、当社近くの居多ヶ浜に上陸し、まず当社に参拝したという。社号標の奥の石段を上り二の鳥居をくぐると、真新しい社殿が見える。

戦国時代、上杉謙信死後の家督をめぐる争い(御館の乱)に巻き込まれ、社殿が焼かれるなどの混乱で社勢は衰微したが、その後歴代領主より寄進を受けて再興した。明治12年に海岸に近かった旧社地より現在地に仮社殿を造営し遷座した。現在の本社殿は、平成19年に造営された。

居多神社の主祭神は、大国主命大己貴命)を祀り、奴奈川姫命・建御名方命を配祀する。創建は明らかではないが、朝廷から弘仁4年(813)に従五位下貞観3年(861)に従四位下を賜っている。

社殿の右手に稲荷神社(左)と詳細不明の小さな境内社が祀られている。

本殿は大社造となっており、その手前に稲荷神社(左)が見える。稲荷神社は、倉稲魂命を祭神として祀っている。

境内に入ってすぐ右手に、雁田神社がある。子宝・安産の神として、祭神は、高皇産霊神神皇産霊神を祀る。子宝の神ということで、堂内には陰陽石が奉納されている。

社殿の手前、境内中央やや右手に親鸞聖人像が自然石の上に立っている。

右手の雁田神社の左には、御大典記念の碑の左に石碑が建っている。大国主命の沼河姫命(奴奈川姫命)への妻問の歌碑である。出雲の国の大国主命は、越国の沼河比売に求婚しに出かけ、姫の家の外で一晩中歌を歌ったとされている。その左の石像は、大国主命と、建御名方命を胸に抱く奴奈川姫の親子像である。

境内入口右手に「親鸞聖人越後七不思議」の一つ「片葉の葦」が群生している。居多ヶ浜に上陸した親鸞が居多神社に参拝し、「すゑ遠く法を守らせ居多の神 弥陀と衆生のあらんかぎりは」と詠み、念仏が盛んになりますようにと祈願したところ、一夜にして居多神社境内の葦が片葉になってしまったという。