半坪ビオトープの日記

本願寺国府別院


居多神社の南500mに、浄土真宗本願寺派本願寺国府別院がある。この地は、親鸞が越後流罪で最初に約1年過ごした「竹之内草庵」の後、恵信尼と一緒に暮らした「竹ヶ前草庵(たけがはなそうあん)」の跡と伝えられる。

親鸞が越後で7年暮らし、建保2年(1214)に常陸へ出立した後は、門侶の覚善が草庵を守って安養道場と称していたが、その後信州に移ったりして荒廃した。

江戸時代には親鸞の旧跡として信仰を集め、文化2年(1805)に現本堂が建立されたが、借地のためただ「小丸山」とのみ称した。明治になって土地を買い取り、明治9年に本願寺直属寺院に指定され「小丸山別院」と公称、昭和5年に「本願寺国府別院」と改称した。

総欅造りの本堂は、当時の越後地方の寺院建築としては稀に見る壮麗なもので、入口の虹梁の二頭の龍や木鼻の獏と獅子の彫刻も見事である。

時間がなく堂内を見ることはできなかったが、内陣外陣の壁画や天井画、須弥壇厨子や欄間の彫刻、彩色も地方寺院のものとしては比類ないほど壮麗であるという。

本堂の左の庫裡の手前には、草庵跡を示す石碑(左)が囲まれ、その右奥に「袈裟掛けの松跡」の小さな石碑が立っている。

庫裡玄関の唐破風の彫刻は、精巧に彫られている。虹梁の上下や、兎毛通の鳳凰の意匠もとりわけ見事である。

境内左手前にある鐘楼の手前には、「袈裟掛けの松」の説明板が立っている。親鸞が袈裟をかけたという「袈裟掛けの松」は、本堂左脇にあったが松喰虫の被害で枯れたため、平成3年に伐採され、代替わりの松が鐘楼脇に植えられている。

本堂右手前には、親鸞銅像が建っている。その右手奥には、親鸞が上陸したときの様子を再現した小さな三体の銅像が見える。