半坪ビオトープの日記

関山神社、拝殿


新潟県妙高山(2454m)の麓の赤倉温泉で泊まった翌朝、鬱蒼とした杉木立に囲まれた関山神社を訪ねた。道路脇の社号標には「縣社関山神社」と書かれ、自然石には「関山大神」と彫られている。

関山神社は、古来より妙高山を霊山=御神体として仰ぐ道場として、創建されたという。道路に面する朱色の鳥居は、大きな両部鳥居である。

鳥居をくぐると太鼓橋の左右に御手洗池があり、その中に亀石があるそうだ。ほかにも座禅石や夜具石、要石などが境内にあるらしい。古くは関山地内の巨木や巨石を、山の神霊が宿る神聖なものとして祀り、やがて社殿が建てられ祭祀場となり、仏教が伝来して以降は寺院を中心とする信仰の場にかわり、神仏習合の場ともなっていったと考えられている。

石段を上り詰めると社殿が見えてくる。神社縁起などによると、和銅元年(708)妙高山を仏の山と開いた裸形上人が、麓に里宮として、国常立尊伊弉冉尊素盞鳴尊の三神を祀り、関山三社大権現と称した。大同5年(810)弘法大師空海が当山に参籠し、本社並びに七堂伽藍を造営し真言修行の道場とした、とされる。

鎌倉時代には木曾義仲、戦国時代には上杉謙信の篤信を受け、最盛期には70余坊を抱えるほど隆盛を極め、越後第一の霊地とされた。天正10年(1582)に織田信長の武将森長可の越後攻めにより焼失して衰退するが、江戸幕府により寺領100石が安堵されて復興し、文政元年(1818)現在の総ケヤキ権現造の本殿が完成した。明治元年神仏分離令別当寺の宝蔵院は廃寺となり、社号は関山神社となるが、神仏習合の名残をあちこちにとどめている。

大きな向拝の内部には精巧な彫刻がちりばめられている。一番上の兎毛通は、立体的な鳳凰の彫刻である。

向拝を内側から見上げてみると、正面虹梁の上には龍が、右の海老虹梁の上には鯉が認められる。

向拝を脇から眺めてみると、海老虹梁の反り具合がよくわかる。屋根裏の手挟みの意匠も珍しく鳳凰と思われる鳥の彫刻である。

三手先の組物から突き出る尾垂木にも渦などの絵模様が施されているほか、頭貫の上にも龍の彫物が睨んでいたりして興味深い。

社殿内部には三つの祭神が祀られている。中尊に関山大権現の国常立尊を祀り、本地仏は銅造聖観世音菩薩立像である。左尊に白山大権現の伊弉冉(いざなみ)尊を祀り、本地仏は十一面観世音菩薩座像である。右尊に新羅大明神の素盞鳴尊を祀り、本地仏は騎獅文殊菩薩である。普段は公開されておらず、写真が掲げられている(左右が逆になっている)。

このうち中尊の銅造菩薩立像は、県内最古の仏像で、7世紀に渡来した新羅仏といわれ、法隆寺夢殿救世観音に類似していて、国の重文に指定されている。