半坪ビオトープの日記

神魂神社、本殿


八重垣神社の東1km余りの所に、神魂(かもす)神社がある。かなり長い参道があり、これは境内直前の二の鳥居である。

石段はだんだん急勾配になり、階段上に社殿が見える。神魂神社は、天正11年(1583)には末社ともども焼失し、毛利輝元により再建された。

神魂神社拝殿は、切妻造杮葺妻入平屋建で正面に向拝がつく。大正年間に増築しているそうだ。

拝殿内を覗くと、鏡と榊の他に、珍しく二重亀甲に「有」の字の神紋が見える。

本殿は、社伝によると、正平元年(1346)建立の大社造で、三間四方高さ四丈ある。床が高く、宇豆柱が壁から著しく張り出していることは、大社造の古式に則っているとされ、日本最古の大社造として国宝に指定されている。ただし、棟札の写しによると、天正11年(1583)に再建されたと考えられているが、それでも日本最古である。

神魂神社は大庭大宮ともいう。主祭神伊弉冉(いざなみ)命を祀り、伊弉諾(いざなぎ)命を配祀しているため、出雲大社と違い千木は水平の女千木であり、神座も出雲大社と反対で、左奥で東向きになっている。

創建は明らかではなく、『出雲国風土記』にも『延喜式神名帳』にも記載がないが、ここは出雲国府跡に近く、出雲国造の根拠地だったことから、出雲国造が私的に祀っていたものが神社になっていったものと考えられている。

大社造は切妻の屋根の切った側に入口のある「妻入り」だが、伊勢神宮に代表されるよくある神明造では、棟と平行な面に入口のある「平入り」となっている。天孫系の神社は平入り、国つ神系の神社は妻入りと、定められたのは南北朝の頃といわれる。

本殿の外見は松材の白木造りだが、本殿内部は朱塗りで、壁面は狩野山楽土佐光起の筆とされる壁画が九面に施され、扉には「日月舞いの図」、天井には「九重の瑞雲」が五色に描かれているという。内部は見られなかったので、買い求めた絵はがきを載せる。