半坪ビオトープの日記

神魂神社、貴布禰稲荷両神社


神魂神社は、意宇六社の一社という。意宇六社とは、神魂、熊野、揖夜、真名井、八重垣、六所神社である。今回は半分しか回れなかったが、次の機会には残りの神社と、出雲国府跡など風土記の丘をもう少しゆっくり観て回りたいものである。本殿の左右には境内社がいくつも並んでいる。右手には、杵築社・伊勢社・熊野社・釜社が並んでいる。

一番右手に建つのが釜社であり、出雲国造の太祖天穂日命天照大神の神勅により、大国主に国譲りを促すため、高天原より大庭釜ヶ谷へ乗ってこの地に天降ったと伝えられている神釜を祀っている。釜社の左には熊野社がある。

熊野社の左には、内削ぎの伊勢社があり、伊勢社の左には、外削ぎの杵築社(出雲大社)がある。

本殿の左手には、貴布禰稲荷両神社と外山社が並んでいる。

右の貴布禰稲荷両神社本殿は、珍しい二間社流造杮葺きで、天正11年(1583)に建てられ、桃山時代の特徴を備えているため、国の重文に指定されている。

外山社の左には、小さな荒神社が建っている。

さらに左手には、内削ぎの蛭子社と外削ぎの武勇社が建っている。蛭子社の右奥には、何やら洞窟があるが、巫女さんは単なる防空壕と説明しているそうだ。

洞窟の右手前には、竹でできた鳥居があり、その後ろに神籬(ひもろぎ)が設けられていた。ひもろぎの「ひ」は神霊、「もろ」は天降るの意の「あもる」の転であり、神の依り代となる木であり、社殿以外で神を迎えるための依り代である。

社務所で買い求めた本殿内壁画の絵はがきに由緒書がはさまれていて、そこに大社造の内部の造りと、神紋の変遷が示されていた。珍しい神紋は、亀甲の中に「有」という字を表示しているが、神有りの十月の「十」と「月」を象形したものと伝えられている。