半坪ビオトープの日記

大山寺、不動堂


大山寺は、高蔵神社とともに神亀元年(724)に良弁僧正の開基になると伝えられている。中世以降は天台宗に属し、修験寺として大いに栄え、戦国時代には当地を治めた里見氏・正木氏の庇護を受けた。明治5年(1872)の修験道禁止令により真言宗に変わったが、現在でも大山地区の祭礼では、この大山寺の境内に各地区の神輿が集合するなど神仏習合の名残が認められる。

現在の不動堂は、棟札から享和2年(1802)に上棟されたことが確認される。江戸時代中期の建築様式を忠実に残した、入母屋造銅板葺、方5間の密教堂である。その翌年、初代伊八(武志伊八郎信由)が正面を飾る彫物一式を製作した。

向拝虹梁の上に構える飛龍と地龍、木鼻の獅子と獏、虹梁脇下の持送りなど迫力がある。
特に虹梁の「雲と地龍と波」および懸魚の「飛龍」の躍動感あふれる彫刻が素晴らしい。初代伊八52歳の円熟した彫技が存分に発揮されている。

向拝裏の大きな手挟みは、珍しい意匠の麒麟と菊である。

堂内内陣には堂々とした厨子がある。荘厳に飾られた厨子の組物から突き出る頭貫の数々、欄干下の頭貫と羽目板など、随所に精巧な彫刻が施されている。
鎌倉中期作という不動明王像および両脇侍立像は非公開なので、ここに祀られているのはその前立ちであろう。

堂内外陣には、いろいろな仏像などが祀られている。左の千手観音は、滝本堂という。ここは安房国札観音霊場第三十四番である。昔、大山に長徳寺という寺があり、安房第三十四番の札所だったが、明治維新廃仏毀釈で大山寺ともども廃寺となり、大山寺は後に復興したが三十四番札所は大山寺に引き継がれたという。大山寺の山門の下に、近年まで滝本堂という長徳寺の名残の観音堂が残っていたという。

右端には何やら整然と座像が並んでいるが、詳細は分からない。

外陣天井には天女が描かれている。額絵には「西王母」が描かれているが中国神話では黄帝を助けた西王母ら7名の仙女を七天女と称している。

こちらの額絵は「文覚上人瀧修行と二尊像」である。

こちらの天井にも天女が描かれている。
これで、3月中旬に出かけた房総東部の一泊の史跡巡りを終えた。波の伊八の彫刻をたっぷり鑑賞できてよかった。まだまだ伊八の作品がいくつもありそうなので、また訪ねてみたい房総半島である。