半坪ビオトープの日記


唐銅鳥居をくぐった右手に宝蔵がある。承応3年(1654)創建で、外部全体を青銅で包んでいる。銅神庫とも呼ばれ、江戸時代には家康の位記・宣旨類、甲冑、刀剣など貴重な神宝を収蔵していた。
宝蔵の左に見える狛犬寛永13年(1636)建立の関東最古の参道狛犬で、松平右門大夫正綱、秋元但馬守泰朝両氏から寄進されたものである。両氏は家康の遺臣であり、当宮造営の功により特に奉納を許されたという。この右手の阿形の狛犬は、松平正綱が奉納したものである。

入母屋造りで正・背面に唐破風が付いている奥社拝殿は、建物全体を真鍮や銅の板で覆い、黒の漆を塗って金箔を押している。

黒一色の地味な外観に対して、内部は金箔の柱、極彩色の鳳凰など豪華な仕様になっているという。

この門は、慶安3年(1650)唐銅(金・銀・銅の合金)で屋根・柱・壁などを鋳造し、それを組み立てたため、鋳抜門という。高さは3.4m、柱間は2.5mある。
鋳抜門前のブロンズの狛犬は、天和3年の建立である。門の両袖にいるのは蜃(しん)。ツバメを食べ、気を吐き、楼台城郭を描き出す、といわれる。蜃気楼の蜃である。

宝塔は祭神家康の神柩を納めた墓所で、建立以来、一度も開けられたことがない。八角九段の基盤の上に立ち、高さは5mある。当初は木造だったが後に石造りになり、さらに天和3年の大地震で破損したものを、5代将軍綱吉の時に、鋳工・椎名伊豫により現在の唐銅製に造りかえられた。宝塔の左手に見える杉は、叶杉(かのうすぎ)といって、この杉の祠に向かって願い事を唱えると叶うという。

宝塔の前に置かれた鶴のロウソク立て、香炉と狛犬、花瓶は朝鮮通信使が運んできた朝鮮国王からのプレゼントだという。