半坪ビオトープの日記


祈祷殿と唐門の間から本社の拝殿に入れるが、内部はすべて撮影禁止だった。本社は本殿、石の間、拝殿が一体化した権現造りで、東照宮の中心を成している。寛永12年(1635)に建てられ、本殿は桁行5間、梁間5間、背面向拝1間、入母屋銅瓦葺であり、石の間は桁行3間、梁間1間、両下造銅瓦葺であり、拝殿は桁行9間、梁間4間、入母屋正面千鳥破風軒唐破風、向拝3間銅瓦葺である。拝殿には「将軍着座の間」「法親王着座の間」があり、天井は格天井で、格それぞれ異なった竜が狩野一派により描かれ百間百種の竜と呼ばれている。本殿は神仏混合の名残が見られ、内陣や内々陣などが設けられ東照大権現が安置されている。
楽殿と祈祷殿の間に本社を取り巻く東回廊が見える。回廊は寛永12年(1635)に建てられたもので、梁間1間、桁行東54間、西36間、入母屋銅板葺きで、坂下門へ続く部分は唐破風の「眠り門」が付いている。

奥社に通じる坂下門の入口の欄間・蟇股に国宝の眠り猫がいる。名工左甚五郎作と伝えられ、牡丹の花に囲まれ太陽の光を浴びて居眠りをしていることから「日光」にちなんで彫られたとか、いろいろな解釈がある。東西回廊の蟇股の彫刻は、眠り猫のほかにも栗、牡丹、薔薇、ササゲなどがあり、珍しいものとして蜜柑や茄子の彫刻もある。

眠り猫は踏ん張っていることから、実は家康を守るために寝ていると見せかけいつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれるが、裏で雀が舞っていても「猫も寝るほどの平和」を表しているともいわれる。だが残念なことに、裏の雀の彫刻を見過ごしてしまった。

坂下門は元和4年(1608)に建てられた1間1戸銅瓦葺八脚平唐門で、この奥が徳川家康が眠る奥宮に続くため、普段は閉められ将軍参詣の折しか開くことがなかったことから、「開かずの門」とも呼ばれていた。全体的に白と金を基調とし、他の建物より清楚な印象を受ける。欄間には鶴の透かし彫り、腰羽目には牡丹と唐草が彫り込まれている。

坂下門から始まる奥社参道の石段は、寒さの厳しい日光では、霜柱で浮き上がってこないように重く大きな石が必要だったため、踏み石に1枚石が使われている。石柵は1本石をくりぬいて作ったという。石段は奥社入口の鳥居まで207段続く。

奥社境内入口に建つ鳥居は唐銅鳥居で、天和3年(1683)石鳥居を改めて建てたものであり、神号勅額は後水尾天皇の直筆である。