半坪ビオトープの日記


東照宮の国宝は、本殿・石の間・拝殿、正面・背面唐門(2棟)、東西透塀(2棟)、陽明門、東西回廊(2棟)の8棟である。現在、本社は工事中であり、唐門と透塀が工事終了している。
東照宮で最も重要な本社の正門が唐門である。間口3m、奥行き2mの小さな門。江戸時代には「御目見得(将軍に拝謁できる身分)」以上の幕臣や大名だけが使えた。今でも正月や大祭などの祭典の時と、国賓に相当する参拝者しか使えない。
四方軒唐破風の銅板葺きの屋根の上には、鋳物師・椎名兵庫作の龍と恙(つつが)各2頭がいる。昼間の守護には東西に龍、夜間の守護には虎より強いという恙が見張っているが、あまりにも出来栄えが見事なあまり、どこかへ行ってしまわないようにと、恙の足は金環で止め、龍も鰭(ひれ、翼)を切って飛んでいかないようにしているという。
唐門全体が胡粉で白く塗られ、門柱に紫檀や黒檀などで寄木細工(象嵌)された曻龍(左側の柱)・降竜(右側の柱)がいる。
唐門の左右に連なる透塀(すきべい)は、総延長160mの塀全体に彫刻が施されている。上の欄間には山野の鳥と植物、下の腰羽目には波や水鳥と対比させている。
台輪(柱の上をつなぐ厚い板)の上に配置された人物の彫刻は、「舜帝朝見の儀」であり、その一番上の屋根下には「許由と巣父」、ここからでは見えないが「舜帝朝見の儀」の下側には「竹林の七賢人」など中国の聖賢の彫刻がある。古代中国の伝説上の皇帝、舜帝が残した「内平外成」の言葉から平成の元号が選ばれている。

唐門に向かって左に位置する建物が神輿舎(しんよしゃ)である。春秋渡御祭(千人行列)に使われる3基の神輿が納められている。中央の三葉葵の紋の入った神輿に乗るのが東照宮主祭神徳川家康。向かって右の神輿は配祀神豊臣秀吉、左が配祀神源頼朝の神輿である。55人で担ぐ神輿1基の重さは約800kg。昭和40年代に新調された2代目である。寛永13年(1636)製作の初代神輿は約1120kgで重すぎたため引退し、東照宮宝物館に展示されている。建物内部の天井画は「天女舞楽の図」といい、天女の絵では日本一の美人といわれているが、工事中で見られないのが残念である。

唐門右脇の透塀の前に「一本燈籠」がある。2代将軍秀忠の5女の和子・東福門院が奉納したものという。

唐門に向かって右手に神楽殿がある。春の大祭では八乙女が神楽を奉納する。八乙女は、東照宮が建立される以前は日光三社権現(現在の二荒山神社)に奉祀する巫女で、東照宮に所属してからは8名の世襲制だったそうである。

楽殿の左向かいに祈祷殿がある。江戸時代には五大尊、十二天を本尊として祀り、ここで日光門主輪王寺宮)が護摩を焚いて天下太平を祈願した護摩堂だった。

明治の神仏分離の時、移転を命じられたが、社務所使用の名目で据え置かれ、正式名称は「上社務所」として参拝者の祈祷に使われているそうだ。