半坪ビオトープの日記


円通院の向かいの路地を海側(東)に曲がると、すぐ左手に茅葺きの三聖堂が見える。天和2年(1682)瑞巌寺101世鵬雲により建てられた、方3間の素木造、屋根は宝形造茅葺き、正面に一間の向拝の付いた質朴端正な堂である。
堂内正面中央に聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂という。「三聖堂」の扁額は創建者鵬雲の筆による。33年に一度の開帳で、前回は平成18年という。

円通院のさらに南隣に臨済宗の瑞雲峰天麟院がある。厳かな瑞巌寺、円通院に比べると普通の寺で入場も無料である。政宗の長女・五郎八姫の霊廟は本堂の裏手にある。本堂の右側にはいろは観音が立っている。

本堂の斜め前に、イタリー産大理石でできた高さ6mほどの子育水子地蔵尊が立っているが、桜の花が満開でよく撮れなかった。

本堂の右手にある墓地の間を通り抜けて、裏手の崖に向かって登っていくと、政宗の長女・伊達五郎八姫の霊廟がひっそりと建っている。五郎八姫は徳川家康の子・高田藩主・松平忠輝の嫁として迎えられるが、忠輝が大坂の陣に遅れたことを咎められて改易となり、五郎八姫は離縁される。その後仙台に引き取られ、政宗没後も忠宗に面倒を見られ仙台にて寛文元年に68歳で没した。天麟院は落飾後の五郎八姫の号である。菩提寺は万治元年(1658)、五郎八姫の生前に開山している。
寛文3年(1663)4代伊達綱村によって霊屋が創建され、明治2年霊屋が解体され、明治22年墓が建立され仮霊屋として現在に至るという。霊屋左のハリ樅の巨木は創建当時に植えられたものである。

霊廟背後には凝灰岩壁を掘削した5つの洞窟があり、北から第1窟は、政宗の3男伊達河内守宗清を供養した塔があり、寛永年間の伊達一族の供養塔がある。

第2窟は、政宗の4男伊達三河守宗康の供養塔を中心に、左右に10人の殉死者の塔がある。その他、天麟院歴代の住職の墓があり、入口には弘安7年(1284)の板碑もある。