半坪ビオトープの日記


松島湾に突き出した月見崎と呼ばれる丘の上に観瀾亭という建物がある。もと政宗の行殿が建てられていたが、正保2年に火事で焼けたため、2代藩主忠宗が現在の行殿を品川の藩邸から移築して、「月見の御殿」と呼んだ。以後、歴代藩主や妻女の納涼・観月の休憩所として、さらには幕府巡検使らの宿泊・接待用にも利用された。
桁行8間半、梁間5間、京間の18畳2室からなる書院造である。もとは豊臣秀吉が建てた伏見城内にあったものを政宗が拝領したもので、内部の壁には狩野山楽が筆を揮い、障壁画は国の重文に指定されている。

観瀾亭ではお茶(菓子付)を味わうこともでき、庭からは松島湾が眺められる。右手には雄島が見えるが、渡月橋は昨春の大津波で破壊されたままで通行禁止となっている。

時計回りに建物に沿って歩くと、三千万年前に栄えたセコイヤの化石が立っている。明治天皇の東北巡行の際、青葉城より移したものという。

観瀾亭の隣にある町営の松島博物館には、伊達氏一族の甲冑類・旗指物大名行列の道具などや、松島地区の歴史資料などが展示されている。
今は観瀾亭の庭から入るが、表玄関の左には雲松院殿の墓前灯籠が立っている。雲松院殿とは、将軍徳川吉宗の養女温子姫で、伊達6代宗村に輿入れされた方である。

裏玄関から入ると「仙台城因縁の扉」が展示されている。因縁殿は萬金堂と共に伊達家歴代の霊牌を安置した祠堂であり、延宝3年創建の二の丸にあったが、安政3年の火災で焼失し、この両折両開扉は再建後のものである。

観瀾亭の入口に向かう道端に「どんぐりころころ」童謡碑がある。この童謡は、松島町出身の青木存義が文部省在職中の大正年間に作詞したものである。

「どんぐりころころ」童謡碑の近くにそびえる大ケヤキは、推定樹齢800年、幹周囲7.82m、高さ35mほどあり、「宮城県けやき番付」で見事一位に推挙された巨木である。