半坪ビオトープの日記


本堂ほか工事中は、国宝の庫裡と陽徳院御霊屋が特別公開されている。庫裡は禅宗寺院の台所で、大屋根の上にさらに煙出しが載っている。正面約14m、奥行き約25mと巨大で、本来実用本位の建物に唐草や花肘木の彫刻が施されたことに正宗の美意識が窺える。
その奥の大書院に、本来は本堂に安置している、瑞巌寺本尊・聖観世音菩薩、政宗・忠宗位牌、洞水禅師・法身禅師・雲居禅師の三代開山木像が公開されていて見逃せない。

庫裡の向かいには宝物館としての青龍殿があり、伊達政宗の甲冑椅像や北条政子寄進の水晶仏舎利塔室町時代作の法身と大覚禅師(蘭渓道隆)の頂相などもある。
宝物館と庫裡の間の庭には、楸(きささげ)が植えられている。果実がささげのように細長く、煎じて飲めば腎臓の薬とされる。

その手前には、金銀木が植えられている。花は始め白く、後に黄色になり入り交じるので金銀木との別名があるが、実は実がヒョウタンによく似た形のスイカズラ科のヒョウタンボクである。

陽徳院との間の塀の上に夫婦欅が立っている。幹回り7m、樹高25m、推定樹齢800年という。

北隣の陽徳院は、承応2年(1653)86歳で亡くなった伊達政宗正室愛姫(めごひめ)の廟所を護る香華院で、二代忠宗が母生前の修養道場として慶安3年(1650)に造営したものである。
山門は、1間1戸袖塀付茅葺切妻造の薬医門で、江戸時代に建築されたものである。

特別公開の陽徳院御霊屋(宝華殿)は、伊達政宗正室愛姫の墓堂で、万治3年(1660)孫の綱宗によって造営された。宝形造銅板葺、9尺四方の周囲に勾欄付き回廊を巡らし、正面に向拝と木階を備える。内部の須弥壇に念持仏と政宗・愛姫夫妻の位牌が安置されているという。