半坪ビオトープの日記


瑞巌寺の拝観受付を入った左の岩壁に、格子の嵌った法身窟という洞窟がある。鎌倉時代半ばにこの地に開山となる法身禅師と諸国行脚中の執権北条時頼が出会った処と伝えられている。
正安2年(1300)京都天竜寺開山の夢窓国師がここを訪れた時、無人の窟内から天台止観を講ずる声が聞こえたという。
瑞巌寺の四大高僧の一人、法身禅師の俗名は「真壁の平四郎」といい、講談の「伊達政宗より真壁平四郎のくだり」や浪曲「真壁平四郎伝」にも登場するそうだ。
手前の大きな石に刻まれた観音像は、右が楊柳観音、左が鎮海観音と呼ばれている。楊柳観音は文政6年(1823)、鎮海観音は寛政12年(1800)に建立されている。


青銅製の六地蔵塔は、貞享5年(1688)に建立されたもので、竿中央部に嵌め込まれた円盤を回すことによって、地蔵菩薩が六道を輪廻し、未成仏霊を救済するといわれ、後生車、地蔵車とも呼ばれている。山寺には木製の簡素な後生車があったが、こちらは青銅製と立派なものである。

洞窟内には時頼の法名碑、当山中興雲居国師行状碑、三陸海嘯供養碑等が所狭しと安置されている。海嘯とは大津波のことを指す。

拝観受付の左には延命地蔵がある。飢饉の際に難民を救済した117世中方明哉(ちゅうほうめいさい)が、嘉永4年(1851)に105歳の長寿を全うしたことにあやかって、文久3年(1863)に鋳造されたという。

延命地蔵の左に金属製の塔が立っているが、青龍山燈塔という。由来はよく分からないが、瑞巌寺の詳名が松島青龍山瑞巌円福禅寺というのだから瑞巌寺の燈塔ということであろう。

瑞巌寺と左の円通院との間の洞窟の上には、鐘楼が建っている。洞窟の前には石碑がいくつも立てられている。右から3番目の石碑が「おくのほそ道」松島の段の文碑である。
「抑ことふりにたれど・・・松の緑こまやかに枝葉潮風に吹きたはめて、屈曲をのづから矯めたるがごとし。・・・いずれの人か筆をふるひ詞を尽さむ」までを刻んでいる。
芭蕉は松島の風景を愛でた後この瑞巌寺を訪れた。「おくのほそ道」では「七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝し、仏土成就の大伽藍とはなれりける」と書いて、当時の瑞巌寺の荘厳を称えている。