半坪ビオトープの日記


牛島神社の東を通る見番通りを北に少し進むと、左手に三囲(みめぐり)神社の大きな社号票と一の鳥居が建っている。扁額には「三圍社」と書かれている。
三囲神社は、現在地より北の田んぼの中にあって「田中稲荷」と呼ばれていたという。文和年間(1353~55)近江三井寺の僧源慶が東国遍歴の際、牛島のこの辺りで弘法大師創建の由来をもつ荒れた祠を再建したとき、土中より白狐にまたがる老翁の像を得た。そのとき白狐が現れ、神像を三回廻って去ったことから「みめぐり」の名としたという。

一の鳥居の右手に「日比翁助石垣の碑」がある。
「いしがきの小石大石持合ひて御代はゆるがぬ松ヶ枝の色」日比美勲
日比翁助は号を美勲と称した三越呉服店の会長で、近代百貨店の創始者であった。

二の鳥居、三の鳥居にも扁額が掛けられ、その奥に拝殿が見える。

この灯籠は、三囲神社で最も古い年代を示す石造物で、伊賀上野城主の藤堂高睦が宝永3年(1707)に奉納したものである。
さらによく見ると、明かりの入る火袋に三つの穴が開いている、三つ穴灯籠である。
三つ穴灯籠は、香取神宮鹿島神宮三郷市の丹後神社など関東にしか存在しないといわれる珍しい灯籠である。

拝殿の前には神使の狐と狛犬が控えている。狛犬は、延享2年(1745)とかなり古いものである。
社殿は、元亀元年(1570)に大火により焼失し再建している。慶長年間(1596~1615)に隅田川築堤に際し、旧社地より現在地に遷座される。現在の拝殿は、安政年間(1854~59)の建立とされている。

祭神は、宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)であり、同じく三つ穴灯籠がある三郷市の丹後神社と同じ祭神である。
宇迦御魂之命穀物神として京都の伏見稲荷大社主祭神であり、稲荷神(おいなりさん)として広く信仰されている。