半坪ビオトープの日記


元禄6年(1693)旱魃のとき、俳人其角が偶然当地に来て、地元の農民達の哀願により、この神に雨乞いする者に代わって、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日降雨をみた。このことからこの神社の名は広まり、京都の豪商三井氏が江戸に進出すると、その守護神として崇め、三越の本支店に分霊を奉祀した。もちろん日本橋本店屋上にも祀られている。
神社境内の狛犬のそばに大きなライオン像が置かれている。かつては池袋三越店の入口に設置されていたもので、同店の閉店に伴い、神社からの申し出により、三越と強い縁を持っていることから奉納された。そもそも三越のライオン像は、大正3年当時の三越呉服店を率いた日比翁助がライオンを大いに好み、三越本店に一対のライオン像を据えたのに始まる。そのライオン像の原型は、ロンドン・トラファルガー広場のネルソン像を囲むライオンである。

こちらは三越の礎石である。丸に「越」は、三越の商標である。三井家の名前と京都の越後屋を合わせて三越の名前ができている。客に出す茶の湯を沸かす銅壺の台石に彫られ、「越」の範形といわれる。明治29年から昭和の初期まで実際に使われていたという。

拝殿前の狐の神使は、三囲のコンコンさんという。目尻の下がった温和な表情をここいら辺の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうだ。享和2年(1802)の奉納である。
奉納した「向店」とは、名所江戸百景に描かれている三井三店(呉服・両替・向店)のうちの向店であり、日本橋越後屋本店(ほんだな)の向かいにあった木綿問屋だった。

拝殿の左には、大国神・恵比寿神の二神が一緒に祀られている。大国神は慈悲深く円満と富貴の表徴、恵比寿神は豊漁・商家の繁栄をもたらす神として、庶民の信仰を集め、似通う神徳から一対の神として崇められることが多い。隅田川七福神に含まれ、そのうちの二神が三囲神社にあることになる。

「三囲はすなわち三井に通じ、三井を守る」と考えられ、三井家とのゆかりは深い。社域の一角には、明治7年建築、平成6年移築の「顕名(あきな)霊社」がある。三井11家の当主夫妻、120柱余りの霊が神として祀られている。没後100年を経た霊だけが祀られる。鉄柵に囲まれていて立ち入り禁止である。