半坪ビオトープの日記


偕楽園東日本大震災では大きな被害を受けた。好文亭でも内外の土壁が剥離、落下したほか、ふすまや雨戸などの建具も損傷したという。
復旧工事に伴い順次開園区域を拡大し、24年2月の梅まつり直前に全面復旧し、好文亭の公開も再開したばかりである。この部屋は、藩主夫人が休憩に利用した松の間である。

こちらの梅の間は、藩主夫人の居室のあと、皇太子などの皇室が泊まったり休憩に使った貴賓室である。

ここは桜の間である。つつじの間、桜の間、萩の間は、藩主夫人来亭の際など、お付きの御殿女中の詰所、休憩所として利用された。

この藩主の間は、斉昭が好文亭文人墨客、庶民に接した部屋で、床の間は設けず簡素に竹の柱だけが下げてある。東塗縁と西塗縁の間にあり、障子を開けて人々と話したという。

3階は楽寿楼と呼び、窓から庭園の彼方に千波湖を眺めたり、奥御殿や梅林を眺めることができるのだが、狭い階段が混雑していたので割愛した。
一階の塗縁からも紅梅の彼方に千波湖をわずかながら見ることができた。

西塗縁の北には小さな茶室、何陋庵があり、その西に小さな茅葺きの待合が見える。茶室の準備ができるまで客が待つところである。