半坪ビオトープの日記


水戸から那珂川に沿って太平洋に向かい、アクアワールド大洗の手前で左に折れるとひたちなか市に入る。那珂湊漁港の先の海岸線一帯を平磯海岸と呼ぶ。 
天保4年(1833)に水戸藩徳川斉昭雄大な景観に感銘し、水戸藩随一の波浪の見所として観濤所の碑を建立した。
安政元年(1854)には近くの台地上で大砲を製作するための反射炉が着工され、翌2年には平磯海岸に旅館風月楼(現平野屋本館)が創業した。
数年前に創業150周年を迎えた平野屋には、勝海舟も泊まった際に残した掛け軸がある。今も海鮮料理、鮟鱇、常陸牛などの料理でがんばっている。

平磯から磯崎にいたる海岸には、東へ30〜40度傾斜した岩礁が連続する、「平磯白亜紀層」「那珂層群」と称する中生代白亜紀の地層がある。
海岸に古代の地層が露出しているのは、日本ではここと宮崎県の「鬼の洗濯板」だけだそうだ。

岩石は砂岩、泥岩、礫岩などからなり、波に浸食され硬い部分が残って鋸歯状を呈している。地層からはアンモナイト、ウニ、二枚貝、サメなどの化石も発見されている。
約7500万年前に生息していたここのアンモナイトは、巻貝のように塔形の種が多く、異常巻アンモナイトの群棲地として有名である。

清浄石以南の海岸が県指定天然記念物となっている。どの岩が清浄石なのかは分からなかったが、名付けたのは徳川光圀(義公)で、古くは阿字石、護摩壇石と呼ばれていたという。

この海岸一帯は神が降臨した「神磯」と呼ばれ、この地方すべての神仏は護摩壇石に漂着したといわれる。

那珂郡酒列磯前神社を含む)では神輿を海岸まで運び護摩壇石上に安置し祈願する「ヤンサマチ」という祭りを行っていた。