半坪ビオトープの日記


ここに来れば、納豆の起源や水戸納豆が全国的に有名になったわけなどが分かるという、納豆なんでも展示館が水戸駅の北口の近くにある。
大豆を原料にした日本を代表する加工食品である納豆の起源は、遠く弥生時代にあるいは奈良時代に、中国から伝来したと伝えられている。
納豆伝説といえば八幡太郎義家のことである。前九年の役(1051年)、後三年の役(1083)と二回にわたり奥州平定の戦に出かけた折、馬の飼料として煮豆をわらの俵に入れて運んでいた際、糸を引いて腐ったような煮豆のおいしさに気づき、野戦食にして軍団が通った街道筋に納豆を広めたという話だ。

水戸天狗納豆の始祖は、初代笹沼清佐衛門である。安政元年(1854)生まれの清佐衛門は研究熱心で、古文書に「江戸で好んで食べるものに糸引納豆というものあり」とあることを知り、古くからの郷土食である納豆を水戸の名物にすることを考え取り組んだ。仙台で修行した後水戸に帰り、明治22年に商品化に成功した。同年に開業した鉄道駅でも土産品として売り出し、水戸の納豆の評判が東京にも広がった。

糸引き納豆は日本独自の食品だが、似たように糸を引く大豆の発酵食品がネパールやインドネシアにもあり、三ヶ所を結んで「納豆トライアングル」とも呼ばれる。
ネパールのものは「キネマ」といい、煮豆を大型の葉で包み、インドネシアでは「テンペ」といい、煮豆をバナナの葉で包んで発酵させたものである。共通点は塩を使わず発酵させていることだが、発酵させる微生物に違いがある。日本の納豆は納豆菌によるが、キネマは枯草菌、テンペはクモノスカビという細菌によって発酵させる。
納豆文化の発祥地とされる中国では現在、水戸納豆のような粘りのある納豆を食べる習慣は残っていない。中国周辺の少数民族の間には、塩や唐辛子を加えたうえで完熟発酵させたものが残っているが、それは乾燥した保存食で用途も調味料である。

日本全国納豆大絵巻なる商品分布図を見ると、中部地方から関東、東北へと北日本の方に多様な納豆が売られていることがわかる。

昔からある藁つと納豆や丸カップいり納豆、角パック入り納豆などの包み方だけでなく、塩漬けした切り干し大根を混ぜ合わせたそぼろ納豆や、乾燥させたほし納豆、黒大豆で作った大黒納豆、納豆せんべいなど、多種多様な納豆商品が開発されている。