半坪ビオトープの日記


新撰組筆頭局長であった芹沢鴨は、養父である下村義次が弟橘媛神社の神官となったため、その後を継ぎ(下村継次)、この弟橘媛神社の神官だった時代があるそうだ。その時期、芹沢鴨尊王攘夷思想に影響を与えた師が野口正安で、嘉永5年(1852)に吉田松陰までもが訪ねて来るほどの人物だったようだ。ちなみに野口家は水戸藩領内の名家で、その後も童謡詩人として名高い野口雨情を輩出している。
狭い境内にはいくつかの境内社がある。左には熊野神社、右には淡島神社が祀られている。どちらもよく見ると神輿を担ぐための台輪に乗っているのがわかる。
普通、お祭りの時担ぐ神輿は、神殿を象った四面のものになっているが、ここでは実際にこの小さな社を担いでいたのかもしれないと思われる。

こちらにもまた、四つほど境内社が祀られていた。

拝殿の斜め向かいには御神輿殿がある。ここには金ぴかに飾られた普通の神輿が納められているのだろう。

拝殿の裏手には金網に囲まれた階段があって、上にある本殿まで続いている。その手前にも階段があって本殿脇の境内社まで上っていける。

本殿の左に位置する境内社はどの神を祀っているのかわからない。

山頂に位置する本殿は、小さいながらも風格を感じさせている。人目につかない場所だからか、金網に囲まれている。本殿の右側の木立の間からも太平洋が見える。