半坪ビオトープの日記


弟橘媛神社拝殿前の境内に戻る。天妃山の由来を記した説明板の右には、航海安全祈願のため奉納されたものであろうか、古い錨がおかれている。

拝殿の前には西山公腰掛石の碑がある。光圀が腰掛けたというが、観光地にはよくある話である。

拝殿の前の小径を進むと展望台となっていて、太平洋が見渡せる。太平洋から上る朝日を遥拝する所と思われる。左の海岸の先には二つ島と大津漁港と五浦岬が見える。

鬱蒼とした神社から戻ると、神社右前方は大北川の河口となっていて明るい。

花園渓谷を下る花園川が大北渓谷を下る大北川に磯原の町で合流し、かなり川幅のある川となって磯原海岸の手前で砂州に遮られて北に転じ、天妃山の下で太平洋に注いでいる。

大北川から磯原の町は4mほどの堤防で守られていたが、去年の大震災の時の津波は堤防を壊して町を襲った。がれきはほとんど片付けられ、修復された堤防の内側の駐車場の整備にようやく取りかかった所だという。

天妃山の弟橘媛神社入口の手前には石碑が二つ建っている。左の石碑には雨情の門弟、漾太郎によって観海亭のことが書かれている。磯原御殿とも呼ばれた名家、野口雨情の生家のことである。漾太郎とは塩原温泉の和泉屋旅館の主という。
右の石碑には、「遠く朝日は海よりのぼり 千里奥山夜が明ける」雨情とある。