半坪ビオトープの日記


国道6号沿いの野口雨情生家の数百メートル北に野口雨情記念館がある。ロータリー中央にある野口雨情像の手前にはシャボン玉で遊ぶ子どもの像が建っている。野口雨情は、「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「あの町この町」などの童謡をたくさん作詞し、北原白秋西条八十とともに童謡界の三大詩人と謳われた。「船頭小唄」「波浮の港」などのほか新民謡もかなり創作した。
北茨城市歴史民俗資料館として、一階には童謡詩人雨情の初出原稿や直筆の色紙、書簡、遺品などを、二階ではかつての基幹産業であった炭坑関係資料や漁業関係資料が展示されている。風船爆弾が放流された大津町の五浦海岸には放流地跡の碑があるので、風船爆弾の資料もここに少しある。

玄関の右手の歌碑には、磯原小唄が彫られている。雨情の詩に藤井清水が曲をつけている。天妃山からアメリカが見えたならと面白い着想である。

もう一つの歌碑には、雨情の詩に作曲した高木東六のことばが彫られてあった。

雨情記念館の少し北に磯原海岸のシンボルになっている二つ島がある。北側の大きい島は高さ25mほどで、以前は上部に樹木が生え海鵜の繁殖地になっていたが、昨年の東日本大震災津波によって緑は跡形もなくすべて削り取られてしまった。

南の小さな岩は波の浸食を受け平らになり引き潮のときにしか見られなくなっていて、普段は一つしか島が見えない。

二つ島の近くの海岸に「通りゃんせの像」が建っている。昭和35年に国道舗装完成記念に雨情の「あの町この町」をヒントに作られたというが、いつとはなしに「通りゃんせの像」と呼ばれるようになった。題名も作者名も不明だったので昭和45年に「通りゃんせの像・山崎猛作」と命名されたという。