半坪ビオトープの日記


佐波波地祇神社は初め、大津の澤山(佐波山)に鎮座した。その後、東堂下に移り、さらに現在地に遷座したという。
これは境内社の武田姫稲荷大明神を奉る武田姫稲荷である。朱色の鳥居が華やかである。

こちらは丸徳稲荷神社という。小さな狐の神使いがたくさんいてにぎやかそのものである。
見た目では社殿は大震災の影響が見られないが、境内にある多くの鳥居や境内社などのかなり多くが損傷を受けていた。

倒れたままの灯籠などもあったが、多くは修復している。とはいえその多くは平成23年10月や24年1月修復と書かれていて、まだまだ修復中なのである。
これは永山家の氏神で数日前に修復されたものである。一番左には伏見稲荷・三社稲荷・穴守稲荷大明神が祀られている。

社殿の右手にはすさのお神社、八坂神社などが祀られ、大きな記念碑が倒れていた。これがすさのお神社である。

境内は老松が鬱蒼として社殿を包んでいて森をなしている。海上よりこの山を望めばよく目立ち、東海の船舶は常に航路の目標にしている。上古、日本武尊が東征の折、大津の沖で逆波に漂ったときにも、この山のおかげで難を逃れたと伝えられている。その後も逆風に遭い異国に流されながらも大神の助けにより無事帰国した例がある。こうしたことから古くよりこの山は唐帰山(からかいさん)とも呼ばれている。標高は55mである。

境内には享保年間以前に地下30mから汲み上げた「唐帰山の御神水」があり、23年8月に修復されたと書かれている。