半坪ビオトープの日記


福島県の勿来からまた北茨城に戻る。平潟港と五浦海岸の南に大津港がある。江戸時代から水戸藩有数の漁港として栄え、その後もいわし・さば、シラス・コウナゴなどを水揚げしてきた。しかし東日本大震災津波で漁港を始め壊滅的な打撃を受け、さらに福島第一原発事故の影響でコウナゴの漁獲禁止、シラス加工品の風評被害等、甚大な被害を受けている。
がれきこそほとんど撤去されていたが、漁港の近くでは既に更地となった宅地が半分以上を占める有様で、津波の被害の大きさが伺えた。
大津港駅の南東3km、大津港の通りから北へ少し上った小高い場所に松林に囲まれた佐波波地祇神社がある。
佐波波地祇(さわわちぎ・さははくにつかみ)神社の創立の起源は非常に古く、延喜式神祇神名帳に記載がありまた日本三代実録にも記録がある。
社伝によれば、齋衡(854~)天安(857~)年間の間に創立と伝えられている。古くは佐波波神また六所明神と尊称されていた。

主祭神は、天日方奇日方命(あめひかたくしひかたのみこと)で、大己貴(おおなむち)命・積羽八重事代主命・三輪神少彦名命・媛蹈鞴(ひめたたら)五十鈴姫命・五十鈴依姫命も一緒に祀っている。六祭神一体となって国家鎮護・海上安全・家内安全等の神徳があり、特に海上守護の霊徳が広く知られ、古来より武将および海上航海漁民の崇敬が厚い。
天日方奇日方命(あまつひかたくしひかたのみこと、ともいう)は、「旧事本紀」では事代主の神と活玉依姫(イクタマヨリビメ)との子の神であり、「日本書紀」ではこの神の子の神がイクタマヨリビメになっている。妹神は、媛蹈鞴(ひめたたら)五十鈴姫命である。
権現造(入母屋造)銅板葺の拝殿は、明治11年の造営である。拝殿の右のかなり古びた額「大宮大明神」の名は、元禄年間に徳川光圀が神徳を景仰して神鏡一面を奉納し、大宮大明神と尊称を奉った。
左の額は真新しい。以前は「佐波波地祇神社」の右上に小さく「唐帰山(からかいさん)」と書かれていたそうだから、大震災で損傷したため作り直したものと思われる。

本殿は流造(入母屋造)正面軒唐破風銅板葺で、享保12年(1727)の造営、平成8年修復である。社殿横、左の方に石造の「かね牛」が横たわっている。

なでてくださいと書かれたこの大黒様は、人懐っこい表情で親しみを感じさせる。

こちらは浜諏訪神社という。

ほかにも社殿の左手から裏手にかけて多くの境内社が奉られている。