半坪ビオトープの日記


中野神社は、延暦14年(795)坂上田村麿が建立、更に軍が東夷を討ち帰洛の後、当国の守護神として社殿を創建したと伝えられる。御神体不動尊は、推古帝18年(610)唐僧円智上人の作で、一木より三体を彫刻し一体は古懸山国上寺に、一体は長谷沢の東光山五輪寺に、一体を中野の黒瀧山に勧請したといわれ、世にこれを津軽不動尊と称される。祭神は日本武尊、岩戸姫命、田村麿命、大山祇命倉稲魂命少彦名命を祀る。奥の狛犬は明治19年の建立で、左の吽形はひょうきんな顔をして微笑ましい。拝殿前の大杉も珍しい。中野神社の大杉3本は、樹齢500年以上、樹高34m以上で、県の天然記念物となっている。

こちらの右の阿形はいかにも古そうだ。すべての狛犬の台座には牡丹の花が彫られ、いわゆる唐獅子牡丹となっている。

拝殿の裏に本殿がある。それにしても御神体不動尊とは妙である。不動尊とは不動明王のことで、密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものとされているのだから。普通、御神体とは剣や玉、あるいは山や巨木、巨石などなのだが。

本殿の右脇に小さな鳥居があってその奥に「やくしさま」がある。祭神は少彦名命を祀るが、奇妙なことに括弧書きで(開拓三神の一つ薬師菩薩)とある。

さらに手前には「天の岩戸さま」がある。祭神は岩戸姫命を祀る。ここに「神使いは鶏」と書かれ、「天照大神の復活にとり重要な役割をもつ神である」と説明書きがある。そもそも「岩戸姫命」という名は聞いたことがない。天照大神を連れ出すために岩戸の前で面白く舞ったのは、天鈿女命(アメノウズメノミコト)なので、岩戸姫命は天鈿女命のことと考えられる。神使が鶏であるのは、天鈿女命が舞う前に、神々が岩戸の前で常世の長鳴鳥(すなわち鶏)を集めて鳴かせ、楽器を奏し祝詞をあげたことから、鶏が天鈿女命の神使となったと思われる。しかし、伊勢神宮の祭神が天照大神で、天照大神の神使は鶏とされているので、中野神社では天鈿女命と天照大神が混同されているとも考えられる。さらに、先ほどの中野神社の御神体不動尊であるからという説との関係がややこしい。ここの住職の話として、「鶏は、お不動さんの迦楼羅炎(かるらえん)の迦楼羅になぞらえられて、お不動さんのお使いとされている」という報告がある。そして、この鶏の神使の奉納は、昭和37年、中野黒森婦人一同となっていて、酉年生まれと限定できないし、奉納年も酉年でもないという。実際、不動明王が背負う迦楼羅焔の中には火焔を吐き出す迦楼羅(鳥)の姿が入っているものが各地にあるので、迦楼羅に因んで鶏が不動明王のお使いとされたと考えられている。
ともかく、不動尊御神体である神社というが、不動尊を本尊とする寺院と神社が習合していたのが神仏分離で寺院が破壊されたのではないか、さらに、やくしさま(祭神は少彦名命だが実は薬師菩薩)の疑問も含めて不明のことが多いので、またの機会に検討することにしよう。