半坪ビオトープの日記


長勝寺は、享禄元年(1528)大浦盛信により鯵ヶ沢種里に建立され、弘前城築城の時現在地に移った。津軽家の菩提寺である。
三門の正面突き当たりが長勝寺の本堂である。慶長15年(1610) に建立され、現存する日本最古の曹洞宗寺院建築で、重文に指定されている。

三門を入りすぐ右手の銅鐘は、嘉元4年(1306)の紀年銘があり、嘉元鐘と呼ばれる。寄進者の筆頭には鎌倉幕府の執権だった北条貞時法名があり、津軽曽我氏の統領や安藤一族の名前も陰刻されている。「皇帝万歳」で始まる銘文は、鎌倉円覚寺の銅鐘と同じである。鐘楼の奥にある茅葺き・切妻造の庫裡は、旧大浦城の台所として文亀2年(1502)建立のものを移築したと伝えられているが、現在修理中である。

三門を入って左手の蒼龍窟にある三尊及び厨子堂は、もと岩木山百沢寺大堂内陣に安置されていたが、神仏分離で明治6年にここに移された。

中央が阿弥陀如来、左が薬師如来、右が十一面観音菩薩の三尊で、2代藩主津軽信枚が慶長15年(1610) に寄進したものである。手前左側の白い像は、マルコ・ポーロと伝えられている。両側の五百羅漢(実際は百体ほど)は、明治の廃仏毀釈で打ち捨てられていたものを集めたものという。

本堂内陣奥の左手にある位牌堂は、藩祖為信及び歴代藩主と正室の位牌が安置されている。その奥の御影堂は、藩祖為信像を祀った堂で、寛永6年(1629)建立と伝えられている。位牌堂の奥の杉木立の中に、5棟の津軽家霊屋(たまや)がある。

津軽家霊屋は、(藩祖為信室)、碧厳台(2代藩主信枚)、明鏡台(2代藩主信枚室)、白雲台(3代藩主信義)、凌雲台(6代藩主信著)と、寛文12年(1672)から宝暦3年(1753)までに建てられている。年代の明らかな近世の霊屋群として貴重なため、重文に指定されている。