半坪ビオトープの日記


白神山地の周辺を散策するために岩木山麓からくろくまの滝に向かった。ミニ白神を過ぎ、鯵ヶ沢から来た道に合流し赤石川を遡ると、途中に光信公の館がある。津軽の初代藩主である津軽為信の高祖父・大浦光信によって延徳3年(1491)に築かれた、種里城跡が国史跡になっている。

光信はこの地で没したが、子の盛信は弘前に大浦城を築いて移った。その後、政信、為則と続き、為則の甥の為信が大浦城を本拠地として津軽を統一し、津軽氏を名乗って弘前藩を確立したので、種里城は弘前藩発祥の地とされるのである。

石碑の後ろの石段を上っていくと、南部曲り家風の資料館「光信公の館」が建てられている。古文書や発掘調査の出土品など津軽藩に関わる資料が展示されているそうだが、金土日以外は休館していて入れない。
右の木に黄色い花がたくさん咲いているが、これは寺院によく植えられるムクロジ科のモクゲンジ(Koelreuteria paniculata) の花である。

館の右手前には、鯵ヶ沢町指定文化財の板碑(供養塔)がある。赤石川西岸にあったもので、南北朝期(十四世紀中頃から後半)に建立され、安藤氏ゆかりの人が身内の供養のために建てたという。

館の左手前には、津軽藩の始祖と仰がれている大浦光信の銅像が立っている。銅像の手前の庭には、津軽藩の紋章でもあるボタンが約800本植えられ、毎年ボタン祭りが開催されている。

館の左手奥には本丸跡の標識が立っている。ここが種里城跡で、近くに光信の墓がある。盛信は父光信の霊を弔うため、後方の寺の沢に長勝寺(後に弘前に移る)を建立したという。