半坪ビオトープの日記


岩木山は古くから信仰の対象であり、その南麓にある津軽国一宮の岩木山神社の祭神は、顕国玉神(うつしくにたまのかみ、大己貴命)、多都比姫命、大山祇神坂上刈田麿命である。一の両部鳥居から真っすぐに、長い参道が岩木山に向かって続いている。晴れていれば岩木山頂まで見えるという。
両部鳥居は朱塗りの木製が多いが、珍しく石製である。本体の柱を支える形で稚児柱がある。両部とは密教の金胎両部(金蔵・胎蔵)をいい、神仏習合の名残である。四脚鳥居、権現鳥居などの別名がある。

岩木山神社は、宝亀11年(780)岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされる。石畳の参道を上っていくと、右手に社務所がある。ここが百沢寺跡である。

延暦19年(800)岩木山大神の加護によって、東北平定を為し得たとして坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、父の刈田麿を合祀したとされる。豪壮な楼門は、2代藩主信枚が寛永5年に建てたとされる。

元は北麓にあったが、寛治5年(1091)神宣により、現在の百沢に遷座した。現存する社殿や楼門は江戸時代に代々の津軽藩主が造営・寄進したもので、本殿・拝殿・奥門・楼門等が重文に指定されている。楼門やこの拝殿は、もと百沢寺のものであり、密教道場であった。

創建にまつわる伝説には、大己貴命に田光沼の竜女が珠を献じた話、花輪某が錫杖・卍字旗を用いた話、安寿姫と厨子王の話、坂上田村麻呂が父を祀った話などいくつかある。中門をくぐると豪壮な拝殿がどっしりと構えている。

大祭は旧暦8月朔日で、津軽一円の村落から集団で岩木山に登り、ご来光を拝む「お山参詣」が行われ、日本の山岳信仰の典型の一つとされて、国の重要無形文化財に指定されている。
きらびやかな拝殿の奥の先に、奥門と本殿が眺められる。極彩色の華麗なもので「奥の日光」と呼ばれている。