半坪ビオトープの日記


浜名湖の北に位置する気賀関所は、慶長6年(1601)徳川家康によって設置され、姫街道の重要な関所となっていた。東側に冠木門があり、ここから関所に入る。向こうに見えるのは町木戸門で、気賀宿と接していた。平成元年(1989) にふるさと創生事業として、寛政時代の関所が再建、再現された。

関所に入ると正面になる北側に旅人を調べる本番所が在り、手前にさす股、袖がらみ、突棒と三種の捕り物道具が立てられている。

気賀関所の関守は、元和5年(1619)から明治2年の関所廃止まで旗本近藤家が代々拝命した。番頭2名、平番4〜5名が交代で調べにあたった。

左の奥の間には家老が陣取っている。気賀関所は、箱根と新居の関所と並び東海道三関所の一つに数えられていた。

番所の左には槍立と制札場がある。幕府や藩の命令、知らせ等を掲げた制札場は、高札場とも呼ばれ、関所や港、大きな橋のたもと、村の入り口などに設けられた。