半坪ビオトープの日記


気賀関所の本番所の向かい側には、向番所があり、「入り鉄砲に出女」というように人質の大名の妻子などが逃げ帰るのを厳しく取り締まった。
手形などを調べる女改めには関所役人の母親など姥があたった。

番所の奥にはがっしりとした牢屋が設けられ、さらに南には遠見に使用された遠見番所があった。

敷地内に姫様館という資料館があり、入り口には関守近藤家の家紋が張られていた。「丸之内抱鹿角」という珍しい家紋である。

浜名湖南の新居関所の厳しい「女改め」を嫌い、公家や武家の奥方、姫君が通行したため「姫街道」と呼ばれるようになったという道は、浜名湖の北側を回って、この気賀宿、関所を通った、東海道脇街道である。その江戸時代の様子を再現した祭りが「姫様道中」で、この日が祭りの予定日だったが、あいにく東日本大震災の影響で中止となっていた。姫様館には祭りの写真が展示されていた。

八代将軍吉宗の生母、浄円院の通行(1718)は、気賀関所、宿場始まって以来の大掛かりで、そのときの付き添いの役人が食べた食事が姫様館に再現されていた。