半坪ビオトープの日記


帰りがけ、箱根湯本の早雲寺に寄った。臨済宗大徳寺派で、山号は金湯山という。大永元(1521)年、北條早雲の遺命で子の氏綱が、京都大徳寺から以天宗清を招き創建した。
その後、関東における臨済宗の中心として発展し、一時は鎌倉の円覚寺建長寺、本山の大徳寺をしのぐ関東随一の大禅寺になった。

この本堂は、寛政年間に建立され、寛永4(1627)年に再建、昭和30年代の改修まで茅葺寄棟造であった。本堂の手前にある宗祇の句碑には、「世にふるも更に時雨の宿りかな」とある。

室町時代の代表的連歌師飯尾宗祇は漂泊の詩人で、生涯敬慕した芭蕉は笠に「世にふるも更に宗祇のやどり哉」と書き入れていたそうだ。
宗祇は82歳で富士裾野でなくなり、その後、弟子が早雲寺に墓を建てたといわれる。

こちらは稲津祇空の墓。紀伊国屋文左衛門の手代をしていた頃、蕉門の榎本其角から俳句を学び、宗祇を慕って墓前で剃髪した俳人で、晩年はここに草庵を作り宗祇の墓守をした。