半坪ビオトープの日記


職場の近くのお寺の境内でボタン(牡丹、Paeonia suffruticosa)が満開である。中国北西部原産で、古くから薬用として栽培され、7世紀の唐代3代目の高宗はボタン園を作って賞揚したとされる。その後「花王」と呼ばれ、中国で「花」といえばボタンを指すほどになった。
中唐の詩聖、白居易(白楽天)は、牡丹の花の開く20日間、長安の一城の上下各層が終日花に群がる狂騒に背を向ける「牡丹芳」を詠む一方、自分は寺観(仏教と道教の寺院)の奥庭の清雅な白牡丹に引かれ、「白牡丹」を詠んだといわれる。

日本には奈良時代聖武天皇の頃に渡来したという。平安時代には各地の寺院に植えられ、室町時代には生け花にも用いられ、桃山時代には金碧の障屏画に取り上げられた。徳川家康、秀忠、家光は特に花好きで、桜・梅だけでなく牡丹も好んだ。江戸時代の流行時には300を超える品種が紹介されている。
花色には、白色、淡桃色、紅色、紫紅色、黒紅色、黄色などがあるが、園芸品種が多すぎて花の名はなかなか特定できない。