半坪ビオトープの日記

ヤマブキ(山吹)

あちらこちらでヤマブキの花が咲き出している。一重咲きが多いが、このような八重咲きもたまに見かける。
細い枝が山の微風にもサヤサヤとよく振れ動くことから「山振」とされ、それが転訛してヤマブキになったとされる。日本全国及び中国、朝鮮に分布するバラ科の落葉低木。学名は Kerria japonica で、ヨーロッパではツバキと同様「Japanese rose」と呼ばれる。
山野の渓流沿いなどに普通に生え、黄金色を山吹色というほど親しまれている。ほとんどが一重咲きでよく結実するが、まれにある八重は結実しないため、
「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞあやしき」(後拾遺和歌集兼明親王)と歌われ、太田道灌の故事でも有名な花である。
江戸城築城で有名な太田道灌が、埼玉県越生町付近で雨に遭い、農家で蓑を借りようと頼んだところ、農家の若い娘が山吹の枝を一輪差し出した。
道灌は訳が分からず憮然として帰ったが、後に上の和歌があることを知り、農家の娘が貧乏で蓑が無く、「実の」と「蓑」を掛けて、「七重八重花は咲けども山吹の蓑(実の)一つだに無きぞ悲しき」と表現したことが分かった。自分の無知を恥じた道灌はその後歌道に励んだといわれる。
万葉集にも十七首ほど詠まれ、多くは八重咲きを題材としている。しかし有名な次の歌の山清水は、山吹の色の黄と、清水の泉と合わせて黄泉の意を裏に含んでいる。
「山振の立ち儀(よそ)ひたる山清水酌みに行かめど道の知らなく」
高市皇子、巻2−158)
大海人皇子天武天皇)と額田王の娘、十市皇女が急死したときの挽歌。弘文天皇に嫁いだが、父と夫の戦いである壬申の乱で、夫を殺した敵将を拒み続けた皇女に、思いを寄せた高市皇子の挽歌の三首目。
(山吹の黄の花がまわりをかざっている山の清水を酌みにゆこう、黄泉までも訪ねて行って蘇らせよう、と思うのに、ああ道がわからない・・・今野寿美訳)