半坪ビオトープの日記

棟方志功記念館「愛染苑」

棟方志功記念館「愛染苑」
「魂で彫る版画家」ともいわれる棟方志功の記念館は、生まれ故郷の青森市にもあるが、「福光は第二の故郷」と晩年まで懐かしんでいた福光市にも福光美術館の分館として、棟方志功記念館「愛染苑」がある。敷地内には、愛染苑のほか、棟方志功旧居、民藝館、資料館もある。

「四季福光風景」
記念館愛染苑は、福光図書館に勤務していた石崎俊彦が収集した多数の棟方作品と住んでいた土地の寄贈を受けて建設された。この軸装された4点は、福光美術館蔵の「四季福光風景」という倭画。昭和28年の作品で、右から「小矢部早春」「医王盛夏」「桑山秀秋」「愛染呼冬」。

「小矢部早春」
石崎俊彦は福光疎開中の棟方を支援した人物の一人で、棟方が町内に住居を新築した際、その土地を貸し、自分もその隣に家を建てて住み、一家を献身的に支えた。これが「小矢部早春」。

「四天雄飛の図」
こちらは棟方志功が東京に帰る前年、昭和25年に福光中学校の生徒のために描いた「四天雄飛の図」。

「四天雄飛の図」
疎開当時は住まいの隣に福光中学校があり、志功は生徒たちの絵の指導や審査をしたこともあった。本作品は独特の筆致で菩薩の姿を描いたもの。

棟方志功のブロンズ像
記念館「愛染苑」の庭には、小さな棟方志功のブロンズ像がある。志功の親友だった砺波の彫刻家・永原廣(1905-93)作。

棟方志功の旧居「愛染苑」
記念館の向かいにあるこの建物が、棟方志功の旧居「愛染苑」。その家の中に設けられた画室を志功は「鯉雨画斎」と名付け、そこでたくさんの作品を制作した。棟方が帰京する際に人手に渡って移築されたが、平成13年、住居が町に譲渡され、元の場所に再び移築された。

「鯉雨画斎」床の間
「鯉雨画斎」は当時、住居の中の画室の呼び名だったが、記念館愛染苑が建った現在は、旧棟方住居全体を指している。床の間の掛け軸には、「ドコトテ御手ノ真中ナル 宗悦」とある。この柳宗悦の言葉を志功は好み、その版画も作っている。志功は初めて持った新築の住居を大変喜び、扉や柱、風呂桶やまな板の裏までにも絵が描かれていたという。

板戸に鯉やナマズの絵
画室の板戸にも鯉やナマズの絵が描かれている。

囲炉裏のある居間
囲炉裏のある居間にも、ゆかりのある品々がさりげなく展示されている。

栴檀殿」の額
古い時計の掛かる柱は、愛児たちの背丈柱であり、「栴檀殿」の額は民藝派の陶芸家・富本憲吉が揮毫したものである。その下の北陸銀行のカレンダーも志功が挿絵を描いている。

トイレにも菩薩や天女の絵
厠(トイレ)の天井から壁まで、菩薩や天女の絵が生き生きと描かれている。

トイレにも菩薩や天女の絵
自分の住居を持つ喜びがいかに大きかったか、志功の気持ちが偲ばれる。