半坪ビオトープの日記

御客神社、平神社古墳

御客神社
そろそろ旅の終わりを迎える。昔は島後の中心だったと思われる北西部の五箇を見て回った後、現在の隠岐の中心地、南の西郷地区に戻る。最後に見ておこうと選んだのは、御客神社と平神社である。西郷地区の奥、銚子地区にあるこの御客神社は、宗教のルーツを感じる自然信仰の社で、社殿がなく、巨岩が神体である。隠岐には巨木信仰の大山神社や乳房杉を祀る石倉神社、御神木だけのかぶら杉など、社殿や境内を持たない素朴な自然信仰が多い。

御客神社
大きな杉の切り株の跡に新しく杉が植えられている。元の巨木は御客神社の鳥居の役目を果たしていたといわれる。平成9年の台風で2本とも損傷し、翌年伐採された。その先にどっしり構えているのが巨岩である。

神体としての巨岩
縄文時代よりずっと、岩そのものを神体として崇めてきたといわれる。この巨岩には欅の巨木が根を張り、幹は2本に分かれている。「銚子おんぎゃくさんのケヤキ」と呼ばれ、樹高は約23m、幹囲は5.17m。巨岩を取り囲むように注連縄が巻かれている。

御客神社祭礼風流

御客神社祭礼風流は、原田地区で西暦偶数年の3月21日に行われる春祭りである。3月1日の神酒開き祭から準備が始まり、当日は原田の集会所から御客神社まで行列して神幸し、神社の磐座の前で的射行事がある。的射行事では、宮司が作法に従い、カラスとネズミの描かれた小的を弓矢で射る。続いて氏子の中学生の中から選ばれた「脇神主」が弓矢で大的を射る。宮司や脇神主がその場で甘粥などをいただく饗膳もある。脇神主の的射が終わると、参拝者は縁起物として的の破片を持ち帰る。その起源は不明だが、年占いの行事で、その年の豊作を祈念し、潔斎や細やかな作法で行われている。また、大注連縄行事として、境内の2本の杉に注連縄を大蛇の形に作って渡し、その足元に御幣を供えている。

境内社
すぐ左手には境内社が祀られているが、詳細は不明。

平神社
御客神社から少し南に下った平地区に平神社がある。すぐ裏手に前方後円墳が横たわり、その横っ腹に神社が建てられた格好である。

平(へい)神社
平(へい)神社の創建は不明だが、主祭神スサノオの命とされる。

平神社の本殿
本殿正面妻の珍しく花柄のように飾られた懸魚が、元和5年(1619)作成というので、それ以前に建てられたという。その奥の妻飾りも珍しい意匠である。

平神社古墳
平神社古墳は現状で、全長約47m、右手の後円部径約28m、高さ約5.5mの隠岐最大の前方後円墳である。古墳の埋葬施設は後円部のやや西よりにある横穴式石室で、石室の上部分は失われているが、現存部分は長さ約8m、奥壁幅約2mで、小型の自然石と割石で築かれている。東側にも別の石室が埋まっている可能性が指摘されている。

平神社古墳

墳丘は2段からなり、表面に並べられた葺石と考えられる石や埴輪の破片が確認されている。それらや石室の形態から、この古墳が築かれた年代は6世紀後半頃とされ、隠岐の古墳でも最後期に築かれたことが推定されている。この周囲の八尾平野一帯は、7世紀に隠岐国府が置かれたと考えられており、隠岐国の成立を考える上でも重要な遺跡とされる。

これで、隠岐の4島巡りの旅が終わった。対馬壱岐に劣らず古い歴史を誇る隠岐の神社は、隠岐造という本殿の建築様式のみならず、多種多様の祭式風流など独特の伝統を長く保存してきたので、興味の尽きない様相を示していた。古い神社は9世紀前半以前に遡る歴史を持つので、古代史に関心を深める意味でも貴重な見聞ができたと満足している。

この後は、年末年始の休暇をたっぷり摂ります。ではまた、来年まで。