半坪ビオトープの日記

ポンモシリ島、夕日が丘展望台、ペシ岬

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ポンモシリ島
最終日は利尻島北部、鴛泊周辺を見て回る。まず最初に、富士野園地の沖に浮かぶポンモシリ島を見に行く。ポンモシリ(ponmosir)とは、アイヌ語で「小さい島」を意味し、その地名は北海道に十数ヶ所ある。

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富士野園地からポンモシリ島
富士野園地は標高1525mの崖の上に草原が広がり、エゾカンゾウの大群落地として知られる。100段ほどの階段を上がると展望台があり、目の前にポンモシリ島を眺めることができる。ポンモシリ島はクロユリの自生地にもなっている。

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夕日が丘展望台
右手(東)には夕日が丘展望台の岬が見える。岬の頂上は標高55mほど。この後登ってみる。

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ウミネコの卵
ポンモシリ島はウミネコが集団でコロニーを作るという。展望台周辺の草むらにはウミネコの卵の抜け殻がいくつも見られた。卵の長径は65mmで鶏卵より少し大きい。卵の表面には斑点があり、普通2個ずつ産む。5月に雛が生まれ、夏はウミネコの子育てのシーズンになる。

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エゾカンゾウ
エゾカンゾウHemerocallis middendorffii)は、6月中旬〜7月上旬に見頃を迎えるのだが、すでに咲き出しているものもかなりあった。

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夕日が丘展望台の右手(南)
夕日が丘展望台の右手(南)には利尻山が見えるはずなのだが、大きな雲に覆われてほとんど姿が見えなかった。

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センダイハギ
夕日が丘展望台に向かう草原にもエゾカンゾウはかなり咲き出していた。また、礼文島でも見かけた黄色いマメ科の花、センダイハギ(Thermopsis lupinoides)も咲いていた。

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夕日が丘展望台への急峻な断崖
夕日が丘展望台に登る道は崖沿いなので、急峻な断崖にウミネコのコロニーが認められた。

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富士野園地とポンモシリ島
標高55mの夕日が丘展望台からは、先程の富士野園地とポンモシリ島がはっきりと眺められた。

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ペシ岬と鴛泊の街

展望台から南東方向には、標高93mのペシ岬と鴛泊の街が眺められた。

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シコタンハコベ
泊港のすぐ北に海に突き出すように聳えるペシ岬への登り口近くの庭で見つけたこの花は、シコタンハコベStellaria ruscifolia)という多年草。北海道や本州中部地方の亜高山帯から高山帯の岩礫地に生える。利尻山の高所にも生えているが、これは栽培株である。

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ペシ岬に向かう道
ペシ岬に向かう道も細く左右に海が見える尾根のような道である。

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会津藩士の墓
途中に会津藩士の墓があった。会津藩は文化五年(1808江戸幕府よりロシアの襲撃に備えるため蝦夷地防備の命を受け、1600名が松前・宗谷・利尻・樺太に出陣した。利尻島には252名駐屯した。交戦はなかったが、病死や事故死で多くの藩士が亡くなった。ここには3基の墓が残されている。

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ペシ岬の断崖

ペシ岬も標高93mとかなり高い岬なので、断崖を見て、頂上を認めたところで引き返した。

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遠くに夕日が丘展望台
北を眺めると先程の夕日が丘展望台が遠くに認められた。