コルドバからセルビアへ朝早く行き、旧市街東部にあるピラトの家に向かってカルモナ通りを進むと、サン・エステバン教会(Hermandad de San Esteban)の鐘楼が見える。
ピラトの家の向かいのピラト広場には、フランシスコ・デ・スルバランの銅像が立つ。17世紀バロック期にセビリアを中心にアンダルシアで活躍したスペインを代表する画家である。
ピラトの家(Casa de Pilatos)は俗称であり、本来の名前はPalacio de San Andres de Sevilla(セビリアのサン・アンドレスの宮殿)という。現在はメディナセリ侯爵家所有の私邸となっている。
入口は左手にあり、馬車にて入れるようになっているアンダルシアの宮殿の様式である。
15世紀の終わりにアンダルシア総督ペドロ・エンリケスにより着工され、16世紀の始めに息子の初代タリファ侯爵の時に完成した。1483年、タリファ侯爵がエルサレムに巡礼を行った。セビリアに帰国後、その家と郊外にあるCruz del Campoというお堂の距離が、ピラト提督がキリストへの死刑の宣告をした場所からゴルゴダの丘までと同じことに気づいた。その偶然に感動した侯爵はVia Crusis(十字架の道)を作った。Cruz del Campoへの巡礼は1521年より1873年まで続き、現在のセビリアにおけるセマナ・サンタ(聖週間)の始まりとされる。セビリア人達はピラト提督に因んで、この家をピラトの家と呼ぶようになったという。
中央パティオ(中庭)にはゴシック様式の噴水がある。
そのパティオの周りを、ムデハル、ゴシック、ルネサンス様式が混ざる特色ある建物が取り囲んでいる。イタリアから発掘されたローマ帝王たちの彫刻やギリシアの女神の銅像などが配置され、中世に逆戻りしたような光景が広がる。
ピラトの家はセビリアではアルカサル(王宮)に次ぐ規模を誇るという。ここで時間を潰してしまって、結果的にアルカサルを見学する時間を失ってしまったが、見応えのある部屋が続く。
漆喰装飾の壁もあり、様々な幾何学文様が施されたムデハル様式の礼拝堂には祭壇画も掛けられていた。しかし残念ながら、その奇妙な祭壇画の内容はまったく分からなかった。
天井の幾何学文様も珍しいデザインで装飾されている。
あらゆる壁にそれぞれ違うデザインの装飾タイルが貼られていて豪華そのものであった。
この黄金色の球体は何なのか、説明がよくわからなかった。
本館の右手にもバラなどが植えられた庭園がある。
装飾タイルをよく見ると、植物文様が主体となっているが、その形の豊富さと組み合わせで、様々な意匠が使い分けられていて、イスラム文様の奥深さを感じ取れる。
1階は日本語の音声ガイドを貸してくれ自由に写真が撮れる。2階は英語などのガイド付きツアーで見学できるが、撮影禁止である。ゴヤの闘牛の絵などもあり興味深いが時間が足りない。
本館右手の庭園に突き出た一角に四角い部屋があり、古代ローマ時代の棍棒や頭像などが飾られていた。