半坪ビオトープの日記

阿南町新野の雪祭り


東栄町から天竜川右岸(西側)に沿って北上し、新野(にいの)峠を越えて長野県下伊那郡阿南町新野に着く。阿南町新野は千石平とも呼ばれた丘陵状の盆地であり、盆地を取り囲む峠は塞の神のいるところだと信じられた。新野は雪祭りが有名で、阿南町や周辺の村の祭りの様子が農村文化伝承センターで展示されている。

新野の雪祭りは、雪を豊年の吉兆とみて田畑の実りを願う祭りで、本祭りは1月14日の夜から翌朝にかけて伊豆神社境内で執り行われる。田楽、舞楽、神楽、猿楽、田遊びなどの日本の芸能絵巻が徹夜で繰り広げられる。能や狂言などの原点ともいわれる。これはパンフの切り抜きである。

その来歴は伝説的な要素が強く、鎌倉時代に伊豆の伊東小次郎が流浪の末に新野にたどり着き、奈良の春日神社に奉仕していたことから薪能を伝えたとも、室町時代に生国伊勢からやってきた関氏が田の神送りを伝えたともいわれている。

「日本の芸能を学ぶものは一度見る必要のある祭り」と全国に紹介した、民俗学者で国文学者、また歌人でもある折口信夫は、雪祭り命名者でもある。折口は雪祭り東栄町花祭りの採訪のため度々当地を訪れ、「祭り狂い」「花狂い」ともいわれた。地元では「二善寺の御神事」とか「田楽祭り」などと呼ばれていた。
長野県最南端の新野は雪が少ない地方で、雪がない時には峠まで取りに行き一握りでも神前に供えなければ祭りが成り立たないと信じられてきた。
雪祭りに使用する仮面=面形(おもてがた)は、墨・胡粉・紅ガラだけで仕上げた素朴さが特徴で、現在は19種の面があり鎌倉時代の様式を今に伝えている。これに作り物の駒、獅子頭、馬形、牛形が加わり、仮面をつけることによって神の化身となる。

伊豆神社の祭りは、出番を待つ庁屋(支度部屋)の壁を見物人達が薪などの棒で叩きながら、悪霊を鎮める「ランジョウ(乱声)、ランジョウ」という呼びかけで、神の登場を催促する。午前1時頃松明に点火し、広庭の祭事が始まる。最初に柔和な面形の神様「幸法(さいほう)」がでてくる。赤頭巾に長い藁の冠、その先に五穀の入った玉をつけ、千早、短袴、白い脚絆に足袋、草鞋の出で立ちで、手に松と田うちわを持って舞う。舞い方も「打払い」「冠とり」「ササラの先立ち」などがある。

次に登場するのが「茂登喜」で、「幸法」の演技を補う。「競馬(きょうまん)」は作り物の馬形を手綱さばきで本物の馬のように見せる。「お牛」は宮司が務める重要な神事で、拝殿の屋根と石段に向かって矢を放つ。これは神や精霊との媒介をするものと折口信夫は説明している。

その他にも翁、松影、正直翁、海道下り、神婆(かんば)、天狗、八幡、しずめ、鍛冶、田遊びなど多彩な舞が繰り広げられ、朝の8時前後まで続く。国の重要無形民俗文化財に指定されている新野の雪祭りは、こうして「寒い・眠い・煙い」の3拍子が揃った祭りとして夜を徹して行われる。