半坪ビオトープの日記

高家神社


千倉町の南朝夷に高家(たかべ)神社がある。「料理の祖神」を祀る神社として、料理関係者や醸造業者を中心に信仰を集めている。

高家神社は、主祭神として、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)を祀っている。高部神ともいう。境内に入ると石の鳥居があり、新しい参道の突き当たりに社殿が見える。

磐鹿六雁命大彦命の孫と伝えられ、日本書紀によれば、景行天皇は皇子・日本武尊の没後、その東征の縁の地を歴訪したが、安房国の浮島宮に行幸した時、侍臣の磐鹿六雁命に膳大伴部の姓を与え、その子孫の高橋氏は代々宮中の大膳職を継いだ。磐鹿六雁命は、宮中・大膳職の醤院で、醸造・調味料の神「高部神」として祀られていた。延喜式神名帳式内社であるが、後に衰退して長らく所在不明だった。茅葺の拝殿は、平入り神明造に切妻の大きな向拝が付いている。

元和6年(1620)高木吉右衛門が桜の木の下から木像と鏡2面を発見し、それを神体として神明社を創建した。約200年後に鏡に「御食津神磐鹿六雁命」と書かれていることが分かり、高家神社の神体として文政2年(1819)京都の吉田御所に届けて証を願い、高家神社に改称した。

拝殿正面奥の扁額はこの時のもので、神祇道管領卜部朝臣良長の銘が刻まれている。

今から約1100年前の光孝天皇は料理に造詣が深く、天皇の命により様々な料理をまとめて後世に伝えたのが四條流の祖といわれる四條中納言藤原朝臣山陰卿だった。この時から宮中行事の一つとして行われてきたのが「庖丁儀式」である。烏帽子、直垂をまとい、庖丁とまな箸を用い、一切手に触れることなく、鯉、真鯛真魚鰹などを調理する。古式に則った所作とその庖丁さばきは、熟練の技であり、日本料理の伝統を今に伝える厳粛な儀式である。毎年十月十七日(旧神嘗祭)と十一月二十三日(旧新嘗祭)に高家神社境内で、庖丁式の奉納が執り行われる。拝殿内にその様子の写真が掲示されている。

茅葺の拝殿の裏に亜鉛板葺きの本殿が続いている。長い外削ぎの千木と7本の鰹木が格式を感じさせる。

本殿の左脇に新しい境内社が建てられているが、詳細は分からない。

拝殿手前の左右に庖丁塚がある。こちらが向って右の庖丁塚である。

毎月十七日に庖丁供養祭が行われ、調理師などの関係者が供養に訪れる。